呼吸の認識が変わる! 〜人生が変わる最高の呼吸法

f:id:r-sakima77:20200621190532j:image

人生が変わる最高の呼吸法

パトリック・マキューン著    桜田直美訳

 

運動で苦しいときや疲れを感じたときには、たくさん酸素を取り入れるために大きく呼吸(深呼吸)しよう。

 

これは多くの人があまり疑問を持たずに信じたり、実践していることではないだろうか。

 

この本では、それを否定する。

帯には大きく「深呼吸は体に悪い!」とまで書かれている。

 

一体どういう理屈なのか。

エッセンスを簡単に紹介する。

  

  

体が活用できる酸素量は二酸化炭素が決める

人間の赤血球は、95〜99パーセントの酸素を含んでいる(spo2、酸素飽和度)。

そして、その赤血球に含まれている酸素をどれくらい使えるかは、実は体内の二酸化炭素の量で決まる。

二酸化炭素は、呼吸によって吐き出されるただのゴミのようなものではなく、血中の酸素が体内に取り込まれる量を決めるという重要な役割を果たしているのだ。

二酸化炭素のこの働きを「ボーア効果」という。


二酸化炭素は、いわば酸素を筋肉や体の機関に届ける窓の役割を果たしている。

血中に適量の二酸化炭素があれば、窓は開かれた状態になり、酸素が体内に行き届くようになる。

それに対し、二酸化炭素の量が減ると、窓の開きが小さくなり、酸素が届きにくい状態になるのだ。

 

深呼吸しても血中の酸素は増えない

血液の酸素飽和度が95〜99パーセントというのは、血液が体内に常に酸素を供給していることを考えると、かなり高い数字といえるだろう。

実際、人の体内には必要以上の酸素が存在していて、安静時には75%、運動時には25%が呼気として排出される。

全てを使い切っているわけではないのだ。

したがって、すでに充分な酸素があるのに深呼吸しても血中の酸素飽和度は上がらない。

 

日頃から疲れやすいと感じている人の血中酸素飽和度を測定しても、そのほとんどが、95~99パーセントという正常な値を示すという。

血中酸素飽和度は正常なのになぜ疲れやすいのか。

それは、血中の酸素が足りないことにあるのではなく、血中の酸素がきちんと筋肉や組織に放出されていないことにある。

慢性的な呼吸過多によって、大量の二酸化炭素を放出してしまうと、血中の酸素が体内にうまく放出されず(ボーア効果)、日々の生活での倦怠感や、運動での息切れにつながるのだ。

さらに呼吸過多は、脳の受容体が二酸化炭素に過敏に反応してしまうようになり、より多くの呼吸を求めるようになるため、悪循環につながる。

 

体内酸素レベルの測定法(BOLT)

そう言われると、気になるのは自分の二酸化炭素への耐性(過敏度)や呼吸量だ。

体内酸素レベルテスト(BOLT)を実行すれば簡単に計測できる。

 

テスト前の10分は安静にし、

 

  1. 鼻をつまむ(息を完全に止めて肺に空気が入るのを防ぐためだ)
  2. そのままの状態で、「息をしたい」という最初の欲求を感じるまでの時間を計る(つばを飲み込みたくなったり、気管が収縮するような感じになったりしたら、欲求がでたサインだ。お腹の呼吸筋やのどが勝手に収縮する場合もある)
  3. 欲求を感じた時点でストップウォッチを止めて鼻から手を離し、鼻で呼吸を再開する
  4. 通常の呼吸に戻る

(68ページ)

 

初めて計測すると思ったより低くでるかもしれない。アスリートでも低い人がいるという。

本書では酸素アドバンテージプログラムという数種類のエクササイズを紹介しているが、最終的なBOLTスコアの目標値は40秒だ。

 

BOLTスコアを上げるための3つのステップ

BOLTスコアの上げていくには、次のようなステップを踏んでいく。

 

ステップ1 二酸化炭素のロスをなくす
  • 起床時、睡眠時、つねに鼻呼吸をする
  • あくびをするときや話すときに大きく呼吸をしない。
  • 1日の自分の呼吸を観察する

 

ステップ2 二酸化炭素への耐性を高める
  • 呼吸量が正常になるまで減らすエクササイズを実行する
  • 10秒のスコアを20秒まで伸ばす

 

ステップ3 擬似高地トレーニングを行う
  • 呼吸エクササイズを運動時に取り入れることによって、二酸化炭素への耐性を高めるとともに、酸素が少ない状況への耐性も高める。
  • 20秒のスコアを40秒まで高める

 

以上のようなステップでBOLTスコアを伸ばしていくが、スコアを伸ばすために必要なエクササイズは、特別な器具も不要で、日常に簡単に取り入れるられるものとなっている。

 

鼻呼吸が一酸化窒素を増やす

本書では、起きている時も寝ている時も、つねに鼻呼吸であることを推奨しているが、その理由の一つが鼻呼吸によって一酸化窒素が体内に送られることを挙げている。

一酸化窒素は、人の体内で、肺の中の気道や血管を拡張する働きがあり、心血管システムで重要な情報伝達の機能を担っている。

鼻呼吸をすると、鼻の中で一酸化窒素が放出され、気道から肺に送られるが、口呼吸だと一酸化窒素のメリットを享受できなくなるのだ。

 

一酸化窒素の働きにはほかにも、「高血圧を予防する」、「コレストロール値を下げる」、「動脈の老化を防いで柔軟性を保つ」、「動脈瘤を予防する」、「抗ウィルスや抗菌」などもあり、全体的な健康状態が向上すると考えられる。

かなり重要な物質といえるだろう。

 

鼻づまりの解消法

といっても、日常的に鼻づまりの人にとっては、鼻呼吸をすることはなかなか難しいだろう。

そこで鼻づまりを解消するエクササイズが紹介されている。

 

鼻づまりを治すエクササイズ

・鼻から静かに息を吸い、鼻から静かに小さく息を吐く

・指で鼻をつまみ、息を止める

・息を止めたまま歩けるところまで歩く(中度から強度の息苦しさを感じるまでだが、やりすぎないこと)

・呼吸を再開するときも、必ず鼻で呼吸をしてすぐ静かな呼吸に戻す

・呼吸を再開すると最初の呼吸は通常よりも大きくなるだろうが、そのまま大きい呼吸を続けるのではなく、2回目、3回目の呼吸を抑え、できるだけ早く通常の呼吸に戻すこと

・1分から2分待ち、また先ほどのように息を止める

・長く息を止めていられるようになるためには、最初からがんばりすぎないこと(息を止めている間の歩数は少しずつ増やしていく)

・このエクササイズを6回くり返し、かなり強く息苦しさを感じる状況をつくる

(P98)

 

エクササイズをくり返し、息を止めたまま80歩まで歩けるようになれば、鼻づまりの症状は完全になくなるはずだという。

鼻炎薬にいつもお世話になっている人や耳鼻科でレーザー治療をしても効果がない人など、悩まされている人にはチャレンジしてみる価値がありそうだ。

 

鼻呼吸のメリット、口呼吸のデメリット

さらに、鼻呼吸のもたらすメリット(あるいは口呼吸によるデメリット)としては、一酸化窒素による全体的な健康向上効果によるもののほか、以下のようなものがある。

・口から吸った空気はフィルター機能を持つ鼻を通っていないので、空気中の汚染物質や、細菌、バクテリアがそのまま肺に入る

・吸った空気を適正な温度と湿度にすることができる

・口呼吸では呼吸量が多くなり、大量の二酸化炭素が吐き出される。その結果、酸素の利用効率が低下する(ボーア効果)

・口呼吸は胸呼吸になりやすく、肺の奥まで空気が入って行きにくい。静かに鼻呼吸をすることで自然と腹式呼吸になり、肺の深部まで空気が入っていく。肺の深部のほうが面積が広く、血管も多いため、酸素が取り込まれやすい。

 

低地にいながら高地トレーニングをし、合法的にパフォーマンスを上げる

ここはアスリート向けの情報だ。

低地で高地トレーニング、合法的に、というといかがわしい気がするが、酸素アドバンテージプログラムを実践することで、合法的にEPOエリスロポエチン)の分泌量を増やすことができるという。

 

EPO、と聞くと、自転車乗りとしては、すぐにドーピングを思い出す。

ツールドフランスを7連覇したランス・アームストロングも、EPOに手を出していた。

 

しかし、EPOはそもそも腎臓で自然に生成されるホルモンで、骨髄を刺激して赤血球を増産させるものであり、イコールドーピングではない。

EPOが生成されて、骨髄で赤血球を増産されれば、血液の酸素運搬能力が高まり、最大酸素摂取量(VO2MAX)が高まる。結果、持久力が高まるというのがEPOの与える影響だ。

 

本書では、ウォーキング、水泳、ランニング、サイクリング中に息を止めるエクササイズをすることで、EPOの生成を促すことができると説明している(血中酸素濃度が80パーセント以下にならないよう、パルスオキシメーターの使用を推奨)。

 

普通の社会人アスリートには、高地トレーニングに行く時間はないし、低酸素室を自宅に作るのはコストやスペースの問題あるので、日頃のトレーニングを工夫するだけで高地トレーニングの効果を享受できるのであれば、とても魅力的だ(健康も害さない)。

 

まとめ

本書の内容は、これまでの呼吸に対する認識を変えるものだった。

紹介されているエクササイズについても、今後いくつか試そうと考えている。

 

Amazonのレビューでは、高評価が多いものの、低評価のレビューでは説明が長いことやエビデンスに乏しいといったことが挙げられている。

説明が長いことについては、洋書なのでこんなものかなと思うが、エビデンスについては、一理あると感じる。

説明が長い割には、論理が繋がっていない、あるいは、結論としては正しいかもしれないが、説明して欲しいところが端折られている感じがする。注釈の番号がところどころ出てくるが、本の中に注釈があるのではなく、ネットで確認しないといけないのも、マイナス点だ。

 

だが、一冊の本で全てを説明してもらおうということ自体に無理があるとも言えるので、エビデンスが弱いと感じるところには、自分で調べると、逆に勉強になるかもしれない。いずれにせよ、呼吸に対する認識を変えるという意味ではいい機会になったと思う。

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

自分自身を大切にし、自然治癒力を導きだす ~オステオパシー医が語る自然治癒力

f:id:r-sakima77:20200209170235j:plain

いのちの輝き

ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン 

 

不思議な本である。

 

帯には吉本ばななが以下のように書いている。

読んでいるだけで、あせり、いきりたった心がなぜか落ちついてきて、自分の心身にごくふつうに気をくばるというあたりまえの大切なことをやろうという気持ちが戻ってくる。読み終えるとすっかり本来のペースが戻っている。そういう力のある声をこの本は持っている。

 

聞きなれない言葉かもしれないが、本書は「オステオパシー」のドクターが書いている。

 

オステオパシーとは何か?

日本ではあまり馴染みがない治療法なので、まずは概略を。

 

オステオパシーは、19世紀にアメリカのスティル医学博士によって開発された。

人間の体は一つのユニットであり、構造と機能とは相互に関係を持ち、自らを防御し、自らを修復しようとする能力=自然治癒力を備えている。

このような考えのもと、手技によって自然治癒力を導き出し、健康を回復する治療法がオステオパシーである。いわゆる代替療法といえるだろう。

アメリカでは、オステオパスは西洋医学医師(M.D.)と同様に正規の医師とされている。

 

機能と構造が相互に関係するとは、どういうことか。

例えば、足首の小さなズレがあったとすると、それは周辺の靭帯、筋、他の関節にすぐに伝わり、内臓にも影響し、実は全身に影響しているのだということである(構造⇒機能)。あるいは、内臓機能の低下により、その関連する筋などが緊張し、体の構造を歪ませることもありえる(機能⇒構造)。

 

以下、印象に残った部分を抜粋しながら紹介する。

 

  

オステオパシーについて

少し長くなるが、そのまま引用する。

 

(からだのシステムを個別的、専門的に見がちな西洋医学の医師と比べて)オステオパシー医はもっとホリスティック(全体論的)な方法を好む。われわれは人間をたくさんの「からだ」が集まってできているものだと考えている。血管系のからだ、神経系のからだ、筋肉系のからだ、骨格系のからだ、などなどのことだ。それらすべてのからだはたがいにつながりあっていて、どれひとつがバランスをくずしても健康は維持できない。つまり、オステオパシーがいちばん大切にしているのは、健康の基盤がさまざまな身体システム間の正しい関係の維持にあるという信念なのだ。~中略~

 また、この「助ける」ということばがキーワードになってもいる。オステオパシー医は、からだには自然に治る力があると信じている。われわれが仕事をすべてやってのけるわけではない。われわれの仕事が終わったら、あとはからだ自身が仕あげを引き受けてくれるのだ。(22ページ)

 

人間のからだは解剖学の教科書が教えているものよりもずっと複雑なものだ。だれもが知っている器官系のしくみや生理作用のほかに、まだよく知られていない事実がある。それは、からだが活発に動くエネルギーの、入り組んだ複雑な流れによってもできているということだ。そのエネルギーの流れがブロックされたり圧迫されたりすると、われわれは本来あたえられているからだとこころのしなやかさ、つまり流動性を失う。そのブロック圧迫が長くつづくか、または短時間でも深刻なものであれば、不快や痛み、病気の症状となってあらわれることになる。

医師としてのわたしの目標は、患者がそのエネルギー・ブロックを解除する作業を手助けすることにある。というのも、エネルギーが解放されて流れるようになりさえすれば、からだは自然に治癒のプロセスをたどりはじめるからなのだ。(15ページ)

  

抗生物質について

著者は、抗生物質の使用を否定しているわけではなく、その有用性を認めつつも、

  1. 必要性がないのに抗生物質が使われている場合があり、それは患者が自分自身の健康に責任を持つことを奪ってしまっている
  2. 安易な使用は耐性菌を増やしてしまう
  3. 「おさえる」ということは、いつの日か再燃させる可能性がある

 とし、安易に抗生物質に頼っている現状を憂えて次のようにいっている。

 

 いまでは、熱がでたらまず熱をとれといわれる。オステオパシー大学で学んでいたころ、われわれはそれと反対のことを教わった。なんであれ、熱をあげることによって外にあらわれようとしているものにたいする、からだの反応を促進するようにと教わったのである。摂氏39.5度までの熱なら心配する必要はない。からだはたえず、役割を終えたある種の細胞を焼却しつづけている。それは死滅のプロセスにある細胞で、いずれからだから排出される。それらの細胞が通常のパターンでからだから排出されなくなると、どこかに蓄積しはじめる。そこで母なる自然がふだんより高い熱を発して死んだ細胞を焼却し、排出作用を回復させる。発熱はからだが必要としている正常なはたらきなのだ。(74ページ)

 

 健康への意思

からだは健康になりたがっているという。

自分本来の自然な状態はけっして虚弱な状態ではない。健康な状態であることに気づいた人は、自分のからだを大切にするようになる。

西洋文化の弱点は、みずからの欲望の犠牲になっている人があまりに多いところにある。人びとは健康でいようという意思よりも不満を訴えたいという欲望、自分を弱いものだと考えたいという欲望のほうが大きい。

 

 自分を哀れな弱者だと考えるのをやめ、着実に健康への道を歩んでいるのだと自分に言い聞かせればいいのだ。欲望をコントロールしようとする意思によって傷つくことはありえない。わたしの経験では、その意思こそが、こころ強い味方になってくれるものだ。(112ページ)

 

食事

食事についての最良のアドバイスは「バランスよくたべる」ことだが、

 食事の量や栄養素の比率は人によって違い、活動状況によっても変わる。固定した比率はない。自分をよく見つめ、自分の体型を自覚し、自分のからだとこころを知ることが先決だ。それがわかれば、食事の量と質はおのずとわかってくる。(139ページ)

 

のみこむ前に100回噛め、というアドバイスがあったりするが、気にする必要はないという。消化する力は人それぞれだ。

 個人の特殊性を無視した、万人に通用するたべかたや完全な食事などというものはありえない。自分の特殊性が判明するまでは、感覚をみがき、からだの反応に注意を払いながら、おいしいと感じるものをたべていればそれでいい。(141ページ)

 

 からだによくない食べ物にたいする欲求を克服する最善の方法は、からだにもっと生命力をとりいれて、細胞の活動パターンを変えるという方法だ。(141ページ)

 

健康的な食事や生活をうまく続けているときには、お菓子や加工食品を食べたときに気分が悪くなったり、舌がピリピリとしびれるような感じになったりしたことはないだろうか。そのように感じることができるところまで、生命力を高めていければ自然とからだによくない食べ物に対する欲求は消える。

 

瞑想について 

著者は健康になる秘訣やこころを静めるための方法として、瞑想をあげている。

瞑想によって、自分が自分に隠していた内奥の思い、表現することのできなかった思いを発見する機会が得られる。

 外にあらわれる通路がふさがれた思いやイメージは、からだの症状の原因になる。それはことばをとおしてからだからでていくかわりに、からだのなかにひっかかり、溜まっていく。~中略~ たとえば、ある思いが筋肉を収縮させる。そのことによって血液の循環が悪くなり、神経インパルスの活動が低下する。すると、その部分にうっ血が生じ、感染が起こりやすくなる。そうなったら、胃の痛み・首のこり・胸の刺すような痛みなど、なにが起こってもおかしくなくなる。

 瞑想をしていると、自分でも予想外の隠れていた思いやイメージがつぎつぎとこころに浮上してくる。亡くなったある人のイメージを長いあいだ内奥にかかえこみ、悲しみの感情をおさえていたことにはじめて気がつくようになるかもしれない。ここが大事なところなのだが、その悲しみを外に表現しないままにしておくと内部のどこかで表現され、それがいずれ症状となって外にあらわれることがあるのだ。(149ページ)

 

 瞑想はパフォーマンスではない。目標達成とは無縁である。それはただ、すべてを手放して、ものごとが流れて行くにまかせることである。(152ページ)

 

短い文章だが、マインドフルネスの本質だ。 

 

子どもについて

少しだが、子どもの育て方につていも書かれている。たとえば、

 ここで忠告をひとつ。子どもはあまり早い時期に歩かせないことだ。生後11か月から12ヵ月ごろで歩きはじめるのがふつうだが、これにも個人差がある。ところが、少しでも早くから歩かせようとして、椅子につかまらせたり、テーブルのうえで手をひいたりする親が多い。それはやめてほしい。子どもには這うという発達段階を完了させる必用がある。わたしの観察では、あまりに早くから歩かせられた子ども(「えらいわね」と親はいうが)は、学校で学習困難におちいるおそれがある。人間のからだは一定の道すじをとおって発達するようにできている。歩行はたんに脚にからだを支えるだけの力がつくというだけのものではない。発達の各段階で、神経系がしかるべく前進をとげなければならないのだ。(173ページ)

 

 神について

宇宙や生命力に関するところでは、神について以下のように触れている。

 その普遍的な生命力こそ、創造主といわれる神の別名である。だから、神はエネルギーというかたちをとって、われわれひとりの内部にいる。現代では、ほとんどの人が、神は内部にではなく外部にいると教えられている。それがまちがいののもとだと、わたしは思っている。(45ページ)

 大事なところをさらっと書いている。

宗教となじみのうすい日本人には分かりにくい分野だが、過去に紹介したエーリッヒ・フロムの「愛するということ」にも同じような内容が書いてあるし、小説では遠藤周作の「」、「沈黙」などでも感じることができる。

 

愛、霊性(スピリット)について 

霊性とは不完全な世界にあって幸福を見いだす能力のことだといっていい。

 それはまた、自己のパーソナリティの不完全さを理解し、それをそのまま受容することでもある。理解し、受容したときのこころのやすらぎから、創造性と利他的に生きる能力が生まれてくる。(185ページ)

 

 自分が不完全であることを理解し、自己受容することは、心の平穏の基礎だ。

様々な心理療法の出発点もここにあるといっていい。 

 

 愛とは霊的な力を発現させるエネルギーのことである。

 からだをめぐるその力を感じる能力が高まれば、それだけ愛を感じる能力が高まる。

 惜しみなく愛することができれば、からだ・こころ・たましいをはたらかせ、成長へ向けている力のバランスを維持していることになる。

人を愛する能力の有無は、その人の内部にある本質に気づき、それをうやまう能力の有無にかかっている。その本質の美しさに気がつくと、その人にひきつけられるようになる。その人もあなたにひきつけられる。もはや、そこにいるのはふたりの人ではなく、ひとつ、たがいに分かちあう愛のなかでつくられたひとつの存在である。愛の行為とは相手を「全体」にひろげることであり、愛とはあたえ、またあたえることである。(198ページ)

 

 

目に見えない内的世界を理解するためにもっと時間を費やしてほしい。変えなければならないものは、その内的世界にある。(201ページ)

 

その変化を大きなものにしていくためのただひとつの道は、あなた自身が自分を大切にすることである。肉体的にも、精神的にも、霊的にもだ。自分の健康のために配慮し、行動することはすべて、あらゆる人、あらゆる生き物の健康に寄与することにつながるのだ。(203ページ)

 

読み終えると、心があたたまり、エネルギーが湧いてくる。

そんな一冊だ。 

 

 

 

 

rj77.hatenablog.com

 

 

 

 

パイオニアSGX-CA600のインプレ

f:id:r-sakima77:20200129203243j:plain

 

イオニアのサイクル事業部のシマノへの一部譲渡が発表されて、まだ日も浅く、ちょっとした喪失感も感じているが、いいもののインプレは残しておきたいので、10カ月近く使った感想を今更ながら書いてみる。 

 

  

視認性が高い

日が昇りきった日中、まだ薄暗い早朝、どんな時間帯でも、数字や文字をはっきり読み取れる。輝度やコントラスト、カラーが絶妙に調整されていると感じる。

また、多様なグラフが用意されていて、情報を瞬時に感覚的に把握することが可能だ。

私の場合、通常のライドではパワーレベル、ローラー練習ではトレーニングメニュー全体像のグラフを表示させることが多い。

パワーレベルのグラフは、苦しいときでも、自分が今どの領域のパワーを出しているか一瞬で把握できる。ローラー練習では、CA600にメニューを入れている状態ならば、メニュー全体のどの部分を行っているのかがわかる。

(写真を載せたかったが、実際に目で見た状態と同じような感覚の写真が撮れなかった。残念)

  

Bluetooth送信ができる唯一のサイコン

CA600は、ANT+で受け取ったパワーの値をBluetoothに変換、送信する機能を持っている。この機能は地味であまり注目されていないが、ZWIFTを楽しむにはとても便利だ。

ZWIFTANT+接続で行う場合、通信距離が短いため、ANT+ドングルをパワーメーター近くまで延長する必要があるが、これが意外と面倒くさい。汗が大量に落ちるクランクの近くにANT+ドングルを置くのは精神衛生上あまりよくないし、ローラー練習の準備をするたびにUSBの長いケーブルを引っ張りだすのも億劫だ。

CA600があれば、Bluetoothに対応していないパワーメーターやペダリングモニターを使っていても、Bluetoothでパワーを送信できるので、ZWIFTBluetooth接続でプレイできるようになる。

他社のサイコンでこの機能がついている機種はおそらくない

  

発売後3回のアップデートにより大幅に機能向上

これまで3回ほどアップデートされていて、大幅に機能が向上した。

20196月のアップデートでは、ANT+ライト対応、地図リニューアル、

201911月は、到着予想時間、自動キューポイント、バーチャルパワー、バーチャルCda(エアロ効果の測定)、獲得標高表示、ラップリスト表示、

201912月は、標高目盛りの縮尺レンジ変更、通知メッセージの改善、アプリとの同期改善など、発売後1年足らずでここまでアップデートしている。

特にバーチャルパワーやバーチャルCdaは他社のサイコンにはない機能で(たぶん)、特筆すべきものだ。

バーチャルパワーは、パワーメーターを持っていない人でもパワートレーニングの感覚を知ることができるという意味で画期的だし、バーチャルCdaの発想も面白い。

 

弱点

ハード自体には弱点らしい弱点はない。

問題はデータアップロード先のシクロスフィアやスマホのコントロールアプリなどソフト面だった。

シクロスフィアは、サーバーの問題でログがすぐに確認できないことがちょくちょくあった。

事業譲渡によりシマノが新しいサイトを開設するようなので、そこには期待したい。

 

まとめ

 

このところのアップデートにより大幅に機能向上し、これが続けば他社のサイコンから頭一つ抜けた存在になるのではないかと思っていただけに、今回の事業譲渡のお知らせは残念である。

事業譲渡の交渉はそれなりに時間がかかるはずだ。

今思えば、現場には上のほうからある程度前からその方針が伝えられていたかもしれないが、現場の意地でここまでアップデートしてくれたのかな、と想像したりする。

パワーメーター普及黎明期に、独創的なアイデアをもって果敢に挑戦されたパイオニアのスタッフの皆様には感謝したい。ありがとうございました。

  

 

 

2019県民大会ロードレース(シニア)

f:id:r-sakima77:20191209182936j:plain


 

現在の自分のパワープロファイルでは、上位に絡むのは厳しいだろうと予想しつつも、最近のチーム練での調子の良さから淡い期待をちょっとだけ持ちながらエントリーした。

 

レースは開始直後からY浅さんが一本曳き。

それにS里さんがついて、ちょい離れたところで自分が3番手。

 

少ししたら垂れて追いつくだろうかと思ったが、

なかなかY浅さんが垂れないので、脚を温存したくて

3番手だけど、先頭交代を促し後ろへ。

 

しかし、後ろへ下がってしまうとなかなか前へ上がれない。

というか、前へ上がる力がない。

 

コーナーは狭いところもあって、自分のラインで曲がれないのと、

体幹のバランスの悪さや2週間前に慣れない力仕事で痛めた腰の影響で不安定さがあり、思いきりいけない。

横風の影響で後輪のグリップが抜けることもあった。

 

前のほうでは米須のO堂さんが少し飛び出して、結構な時間逃げている。

同じ米須のN原さんも強い。

自分が勝負に絡むには誰かのアタックに乗って、数名での逃げ切りしかないと思い、

ところどころ散発で出てくるアタックに反応するもうまくいかず。

 

そんなこんなで、最後まで集団内で何もできずにゴール。

 

良くも悪くも今の実力を確認できるレースだった。

冒頭のグラフはレースでのパワー分布図。一番右のレベル6無酸素領域とレベル1のリカバリー領域にほとんど集中している。

無酸素領域の出力と繰り返しを鍛えなければ、こういったレースではどうにもならないし、全体的な力が頭打ちになっているのもここがネックになっているはず。

体幹ペダリングについても地道に探る必要がある。

 

 

f:id:r-sakima77:20191209184217j:plain

dFRC Cycling(勉強中)

上の図は、勉強中でまだ理解できていないが、どのくらい余力があったかが確認できるもの。いつものチーム練やローラーでのインターバルと比較しても、余裕がない(紫色の線はバッテリーのようなもの)。

 

f:id:r-sakima77:20191209184602j:plain

Time in iLevels(勉強中)

こちらも勉強中。どちらにしろ右側と左側にパワーが分布している。

 

 

ということで、この冬のトレーニング、最優先の2項目が確定

無酸素運動容量の絶対値の向上及び反復能力の向上

体幹及びペダリングスキル(アンバランスの縮小)

 

 

それにしても、シニアクラス出場者の面々は濃い。

独特の雰囲気で、スタート前のゆんたくも面白かった。

 

f:id:r-sakima77:20191209193937j:plain

Kさん撮影。いつもありがとうございます。

 

Training and Racing with a Power Meter (English Edition)

Training and Racing with a Power Meter (English Edition)

 

 

 

パワー・トレーニング・バイブル

パワー・トレーニング・バイブル

 

 

GTローラーをスマート化したら、メニュー練習の質が向上した!

f:id:r-sakima77:20191029182104j:plain

 

GTローラーを今年4月にスマート化した。

かれこれ8カ月ほど使ったので、簡単なインプレをしてみる。

 

スマート化の仕方やZWIFTとの接続などは公式サイトやいろいろなブログ等で

紹介されているので、ここでは書かない。

(※私の環境は、主にZWIFTに接続して利用)

 

 

メリット

メニュー練習に集中できる

スマート化するとメニューに集中できる。とにかくこれが大きい。

このことだけでもスマート化して良かったと思える。

 

パワー値を指標にローラーでメニューをこなす場合、これまでは、フロントフォーク近くの負荷調整レバーで負荷を上げつつ、シフトアップまたはシフトダウンしてターゲットのパワーになるよう調整していた。

 

単調、単純なメニューであれば、このやり方でもそこまで不都合はない。

だが、数十秒や1分などの短時間で負荷やケイデンスを変えるメニューの場合は、それなりの作業になるし、狙った負荷に調整できないこともある。

 

スマート化すると、負荷調整の作業が不要になる。

ウォーミングアップ、メインメニュー、レスト、ダウン、これらの負荷が自動で調整される。

シフトチェンジも基本的に必要ない。

ただただ回すのみだ。

 

勝手に負荷が変わることに違和感を覚える人もいるようだが、私の場合は集中力が増す。

どの筋肉を使っているか、左右差を感じるか、フォームは崩れていないか、呼吸はどうか。

途中で余計なことを考えなくていいので、自分自身の身体を観察し続けられる

呼吸や身体の感覚に集中していくと、「もう無理だ」「きつい」という感情と身体の痛みを分けて捉えることができるようになる。

苦しいなかでも、感情を俯瞰し、実際に身体にどんな生理的な変化が起きているのか、乳酸がたまってきついのか、心拍が限界できついのか、フォームが崩れて特定の部位に負担がかかってしまっているのか、観察していく。

このブログの1本目の記事、「覚醒せよ~」で紹介したが、苦痛をコントロールする対象としてとらえることができるようになる。

 

私はZWIFTのトレーニングメニューを主に使っているが、メニュー練習は、サイクルコンピュータに入力してすることもできる(機能が必要。パイオニアだと、CA600にはあるが、CA500にはない)。サイコンがGTローラーの負荷を自動で調整してくれる。

また、GROWTACオリジナルアプリでもメニュー練習ができる。

サイコンやアプリであれば、ZWIFTのような毎月の支払いもない。

 

 

ZWIFTのレースやグループライドを楽しめる

楽しみにしていた週末のグループライドが雨で中止になった場合、ただのローラー練習をやらなければならないというのは、なかなか苦痛だ。

レースが近くモチベーションが高い時期には、ローラー練習をこなすのも苦にならないが、そうではない場合、気持ちを切り替えるのが難しい日もある。

そういったときに、ZWIFTのレースやグループライドに参加し、バーチャルライドを楽しめるのはなかなかいいものだと思う。

 

 

デメリット

屋外での使用に制限あり

屋外でもモバイルバッテリーを使って1時間程度なら問題なく使用できた(どのくらいまでなら使えるのかは不明)ので、屋外使用ができないということはない。ただ、電子機器を使う以上、雨天の屋外での使用は無理だろう。

 

 

まとめ

GROWTACの開発コンセプトで触れられているが、メーカーとしては、

スマートトレーナーは進化途中で、GTローラーは高価な部類に入るトレーナーであることから、新たな商品を開発して『買い直し』を要求することは本意ではなく、GTローラーを長く使ってもらいたい』という意図でGT-eSMART(スマート化ユニット)を開発したとしている。

確かに、GTローラー自体は純粋なスマートトレーナーとして開発されているわけではないので、ハード面から生じる一定の制約はあるようだ。

しかし、GTローラーをすでに使っているユーザーにとっては、多額の出費をせずにスマート化できるというのはとてもありがたいことだと思う。

 

WahooTacxなど、スマートトレーナーとして完成度の高いものはある。

しかし、GTローラーのように、実走に近い感覚でペダリングできるものはあまりない。

個人的にGTローラーはペダリング技術の向上にとても役立つと感じていて、スマート化すれば、実走に近いペダリングをしながらパワートレーニングができる。

GTローラーユーザーであれば、新たなスマートトレーナー購入ではなく、スマート化を検討しても悪くないと思う。

 

  

 

 

 

男女の違いをEQで乗り越える ~EQ こころの知能指数 vol.2

f:id:r-sakima77:20190404205047j:plain

EQ こころの知能指数

ダニエル・ゴールマン

 

EQについて二つ目の記事になる。 

前回の記事では、私たちの脳で情動のハイジャックが起こる仕組みを説明し、

・「感じる知性」と「考える知性」のバランスが人生の質を向上させること

・EQの領域は5つあり、そのうち「自分自身の情動を知る」ことが情動に関わるあらゆる知性の基礎になること

などを書いた。

 

EQ ~こころの知能指数」では実際に社会生活での応用として職場や医療、教育などについて書かれているが、今回は悩み多き結婚生活や男女間の問題について紹介する。

 

 

男女の違いはどこからくるか

男は火星人、女は金星人、男脳、女脳など、男女の情動の違いはいろいろな例えをもって話される。男女の違いは、生物学的要因から発しているというのは、ある程度正しい。

だがそれだけではない。男女が情動的に異なる世界で育つことも一つの要因だ。

 

一般的に、親は息子よりも娘とのあいだで感情を話題にすることが多い。息子とのあいだでは感情の原因や結果の話をするのに対して、娘とのあいだでは感情そのものを話題にするのだ。

これは女児が男児より早く言語能力が発達しやすいこととも関係しているが、「男の子なんだから泣かない」などのある種の価値観も関係している。

男児は感情を口に出すことがあまり奨励されない環境で育つことになるので、自分の感情にも他人の感情にも無関心になりがちだ。

 

遊び方も異なる。

女の子は親しい者だけの小さなグループを作り、なるべく敵対せずに仲良く遊ぼうとする。男の子は大きな集団で競争しながら遊ぶ。

遊んでいくなかで、男子は孤高かつ非常な自主自立を誇りとし、女子は親密に結ばれた集団の一員であることを重視するようになる。男子は自分の自主自立を侵すものに脅威を感じ、女子は自分たちの仲を決裂させるものに脅威を感じるようになる。

その結果、男と女では会話から期待するものが違ってくる。男は「ものごと」について話をするだけで満足するが、女は情緒的なつながりを求めるのだ。

 

このような環境で育つため、男と女では感情を処理する能力に大きな差がでる。

女性は感情のサインを読みとる能力や自分の感情を表現する能力にすぐれ、男性は、弱さ、罪悪感、恐怖、苦痛に関係する感情を最小限に抑える能力にすぐれることになる

 

こうしたことから、あらゆる感情について、女性は男性よりも強く感じ、興奮しやすい。

女性は感情面のマネージャー役として結婚生活に入るのに対し、男性は二人の関係を維持する感情面のマネジメントがいかに大切かをあまり実感しないまま結婚生活に入る

 

妻たちにとって、親密さとはいろいろなことについて、特に二人の関係そのものについて話し合うことを意味するが、男たちはそれを理解できない。

意見の不一致をどう認め合うかについて、意見を一致させることが、結婚生活を長続きさせるコツである。男と女は扱いの難しい感情と向かい合う際の性差を克服しなければならないのだ。

 

容赦のない批判

結婚生活の危機を知らせる早期警戒信号は容赦のない批判だ。

怒りでカッとなると、苦情は人格攻撃になってしまう。

人格に対する攻撃は理にかなった苦情に比べて、感情をはるかに傷つけるインパクトがある。そしてこの攻撃は、相手が聞いてくれていないという思いが強くなるほど、頻繁になっていく。

人格攻撃が激しさを増すと、受け止める側には屈辱感が生まれ、自分は相手に嫌われている、自分は欠陥品だと思われていると感じさせてしまう。これでは受け止める側は自己弁護に走るばかりになる。

 

相手から攻撃された配偶者は、反撃か逃避の反応にでる。

反撃は空しいののしりあいになり、みじめな状況になるが、逃避反応はもっと破滅的だ。

相手に対する徹底的な拒絶は、究極の防御となる。対話から完全に身を引き、冷たく距離を置き、相手を見下し、不快感をあらわにする拒絶は、相手を強烈に打ちのめす。

よくあるのは、非難や軽蔑の言葉を投げつける妻に対して夫が石のような殻に閉じこもる、というパターンだ。

拒絶反応が頻繁に出るようになると、人間関係は荒廃する。

  

有害な自動思考

夫婦の感情的な口論の背景には彼らの思考があるが、その思考はもう一段深いレベルの「自動思考」によって決定されている。

自動思考とは、自分自身や人生で関わる人々について、瞬間的に脳裏に浮かぶ仮定的背景のようなものだ。

うまくいっていない夫婦間でよく見られるものとして、妻の思考の背景にあるものは、「彼はいつも怒って私を脅す」という自動思考、夫のなかには「彼女には俺をこんなふうに扱う権利はない」という自動思考だ。

自分は罪もないのに犠牲になっている、あるいは、自分の怒りは正当である、という思考だ。

自分が犠牲になっているという思考が引き金になって情動のハイジャックが起こると、当面は自分が犠牲にされた場面ばかりあれこれ思い出して考えるようになり、相手がこれまでしてくれたことの中でそうした思い込みを打ち消すような行為もあったことを思い出さなくなる。すべて否定的なレンズを通して解釈されてしまう。

 

悲観的な考え方をする人には、情動のハイジャックが起こりやすい。

情動のハイジャックが頻繁に起こり、その結果生じる心痛や怒りからの回復が難しくなると、絶え間ない危機が作り出される。

些細なことで感情の乱高下を起こすようになるが、それを情動の「氾濫」という。

「氾濫」状態の夫(妻)は配偶者の否定的な対応やそれに対する自分自身の反応が手に負えなくなって、何ひとつコントロールできない最低の気分に陥る。こうなると、聞くこと見ること曲解せずにはいられず、冷静に考えることができない。考えをまとめられないので、原始的な反応に頼るようになる。とにかくやめてほしい、ここから逃げ出したい、と考える。かと思うと反撃したりする。情動の「氾濫」は際限なく続く情動のハイジャックなのだ。

 

破滅的な方向へ転換していく決定的な曲がり角は、夫婦のどちらかがほとんど常に情動の氾濫状態になってしまった場合だ。

情動の氾濫状態に陥った夫(妻)は配偶者のやることなすこと全てを否定的に受け取り、悪いほうへ解釈する。その結果、小さな問題が大げんかになり、心の休まる暇がない。時を重ねるにつれて、情動の氾濫状態に陥った夫(妻)は結婚生活のありとあらゆる問題をすべて深刻で修復不可能と見るようになる。

 

非難と軽蔑、自己弁護と相手に対する拒絶、有害な自動思考と情動の氾濫のとめどないサイクルそのものが、情動の自己認識と自己管理、共感、相手や自分を慰める能力などの崩壊を反映している。

  

男と女はそれぞれの苦痛から逃れるため正反対の作戦に走り、結局、感情的な対立に正反対のスタンスで対処しようとする。夫は必死で対決を避けようとし、妻はなんとか対決に持ち込もうとする。

 

妻が意見の対立や苦情を話題にしようとすると、夫は口論になるのを見越してなかなか相手にしない。逃げ腰の夫を見て妻の口調はきつくなり、非難しはじめる。対抗して夫が防戦したり殻に閉じこもったりすると妻は不満と怒りを感じ、さらに夫に対し軽蔑をつけ加える。妻から言われなき非難をされていると感じた夫は、「罪なき犠牲者」といった自動思考に陥り、情動の氾濫を起こしやすくなり、ますます防御を強め、殻に閉じこもる。しかし、夫が殻に閉じこもると、今度はどうしようもなくなった妻が情動の氾濫を起こすことになる。

 

アドバイス

一般的に男性と女性では感情を微調整すべき方向が違う。

男性は、衝突を回避しようとしないこと。妻が苦情や意見の相違を口にしたら、それは夫婦の関係を健全で望ましい方向に保ちたいという愛情ゆえの行為であると受け止めること。

 

また、最初から実際的な解決策を提示して議論を省略するような態度を見せないよう注意しなければならない。

妻にとっては、話をちゃんと聞いてくれること、自分の気持ちに共感してくれること(同意は不要)が何より重要なのだ。

 

女性は、男性にとって最大の苦痛は妻の糾弾が激しすぎることにあるのだから、夫を非難しないよう気をつけるべきだろう。夫の行為について苦情を言うのはいいが、夫の人格そのものを非難し、軽蔑してはいけない。苦情を述べるときはある特定の行為が自分に苦痛を与えていることをはっきりと伝えることだ。

 

離婚まで行き着く夫婦には、口論が白熱したときに緊張を和らげる工夫が欠けている。

口論を横道にそらさない、相手に共感して聞くという基本的な対応が重要だ。

 

わずかのEQ-自分の(そして相手の)感情を静める能力、共感する能力、相手の話をしっかり聞く能力―を身につけるだけでも意見の対立をうまく収められるようになる。そうなれば、夫と妻のあいだで「健全な意見の不一致」が可能になる。「上手なけんか」は結婚生活を豊かにし、結婚生活をおびやかす有害な思考を克服する機会になる。

  

心を静める工夫

強い情動の根底には、かならず行動を喚起する衝動がある。この衝動をコントロールすることが重要だが、愛する者とのあいだには失うものが多いため、コントロールはとくに難しい。夫婦の問題がひきおこす情動反応には、人間の最も深い欲求がかかわっている

愛されたい、大切にされたい、という欲求だ。捨てられたり愛情に応えてもたえないことへの恐れもある。恐れは扁桃体を刺激する。扁桃体への刺激は情動のハイジャックに繋がる。夫婦げんかで命がかかっているかのように反応する人がいるのも、理由がないわけではないのだ。

 

とはいえ、夫か妻が情動のハイジャック状態になっているあいだは、何ひとつ前向きに解決することはできない。

まずは感情を静めることだ。しかし、「氾濫」状態になってしまうと静めるのには結構時間がかかる。

話し合いが白熱し、「氾濫」の兆候を感じら、いったん20分ほど休憩をとるか、後日に持ち越したほうがいいだろう。夫婦間であらかじめそのような取り決めをしておくと効果的だ。スムーズに話し合いを終えたり、中断することができる。

 

感情を静めるには、以下の方法が有効だ。

【思い込みを問い直す】

自分は罪もないのに犠牲になっている、あるいは、自分の怒りは正当である、という思考、こうした思考を問い直す。

そのためには、心に浮かぶ否定的な思考を監視し、悪く解釈する必要のないことを理解し、思い込みを問い直すための証拠や視点を意識的に思い浮かべてみるとよい。

 

【心を開いて聞く】

夫婦ともに情動のハイジャックにあるときも、どちらかが怒りを乗り越えて相手の話を聞き、関係修復を求めるサインに応えることはできるはずだ。

攻撃に対して身構えた姿勢で話を聞いていると、行動を変えて欲しいと言っている配偶者の苦情が自分に対する非難に聞こえてしまい、相手の言い分を無視したり反駁してしまう。

最悪の場合でも、敵意や否定に満ちた部分(意地悪な言い方、侮辱、軽蔑口調の批判)を意識的に削除して相手が本当に言いたいことだけを聞く努力は可能だろう。 

 

心を開いて相手の話を聞く最も効果的な形は、共感だ。

相手の言葉の背景にある感情に耳を傾ける。

 

その練習の一つとして「鏡映法」がある。

一方が苦情を口にしたとき、もう一方は自分の言葉を使って相手の発言内容を鏡のように再現する。その際、思考だけでなく感情をとらえるよう努力する。

苦情を口にした相手に確認しながら進み、きちんと鏡映できていないと言われたら、できるまでやり直す。

難しいが、これだけで当面の攻撃がやわらぐこともあるし、エスカレートさせずに問題点を絞って話し合えたりする。

 

また、話の範囲を当面の問題点に絞り、人格攻撃にエスカレートさせないことも重要だ。

苦情を述べる際の上手な形式は「XYZ」で、「あなたがXしたので、私はYな気持ちになった。Zしてくれればよかったのに」と伝える。

「あなたって思いやりのない人ね。自分勝手な大馬鹿者だわ」ではなく、

「あなたが夕食の約束に遅れるという電話をくれなかったので、私は大切に思われていない気がして腹が立った。遅くなるなら電話で知らせてくれればよかったのに」

という具合だ。

 

最後に 

ここまで読んで、いつもの(巷にあふれている)アドバイスと同じじゃないか、と感じる人もいるだろう。

当たり前と言われればそうかもしれない。

だが、その当たり前ができないから皆苦労する。

 

ここでvol.1で書いたEQの5つのうち、1番目の重要性を確認する必要がある。

自分自身の情動を認識する

 

当たり前のことだが、これがとても難しい。

だが、これができれば、夫婦問題も含めて多くの問題が解決するだろう。 

 

「小さなことが積み重なって~」と相手を非難するのはよくある。

だが、その小さなことを放置した自分自身の責任はどうだろうか。

その小さなことが起こったとき、自分自身の情動をちゃんと認識し、相手の行動の背景を確認したり、必要であれば自分が不快に感じることを相手に伝えただろうか。

小さなこととして、自分の情動をないがしろにしたのは自分自身である。

相手を責める前に、積み重ねる必要もないのに、積み重ねなかったか、自問する必要があるだろう。

 

 

この本では、「練習を怠りなく」と日々の取り組みが大切であることを述べている。

個人的には「自分自身の情動を認識する」トレーニングとしては、やはりマインドフルネスが最も効果的ではないかと考えている。

 

マインドフルネスについては、これまで何回か記事にしたが、今後も理解が深まれば記事を書く予定。

 

EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

 

  

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスストレス低減法

 

 

  

rj77.hatenablog.com

rj77.hatenablog.com

 

 

自分自身の情動を知ることがEQの基礎 ~EQ こころの知能指数 vol.1

f:id:r-sakima77:20190824180403j:plain

EQ こころの知能指数

ダニエル・ゴールマン

 

有名大学出身で採用試験はトップで通過したけど、仕事ができない。周囲と協調して動けない。

 

「あの人、勉強はできるのにね・・・」

IQは高いのに、社会でうまく生きていけない。

その理由を本書の言葉で説明するなら、「学力試験で測定されるような認知能力は広範な知性のごく一部分しか反映していない」し、「感情をコントロールする能力は学業成績とは別だ」からだということになる。

 

人間の能力の差は、自制、熱意、忍耐、意欲などを含めたこころの知能指数(EQ)によるものであり、それは教育可能だというのが著者の考えだ。

 

本書は1995年に発表され、全世界でベストセラーになった。

特に印象に残ったのは第9章「結婚生活の愛憎」だったが、その部分も含め、2回に分けて紹介してみようと思う。

 

 

EQとは

そもそもEQとは何か。

EQは“Emotional Intelligence Quotient”の略で、本書では「こころの知能指数」と訳されている。IQは“Intelligence Quotient”で、知能指数だ。

 

こころの知能指数といっても漠然としているが、おおまかには、自分の感情を認識・コントロールし、他者の感情を理解し、共感する能力をEQといっていいだろう。

 

感情・情動

心の一番深いところから発する情熱や願望は、人間を動かす根源的な力だ。

有名になりたい、一番になりたいという願望、人の役に立ちたい、社会に貢献したいという情熱は、文明発展の原動力になる。

強い愛情があればこそ、大切な子どもを助けたいという必死の思いがあればこそ、親は自分自身の安全を犠牲にしてでも子どもを守ろうとすることができる。

 

そもそも感情は、本質的には行動を起こそうとする衝動であり、それが急激で一時的なものを情動と呼ぶ

これらは、自然淘汰の過程で私たちの脳に刻みつけられた反射的な行動指針だ。

  

怒りを感じると、血液が両手に集まり、武器を握ったり敵になぐりかかったりする準備をする。心拍数が上がり、アドレナリンなどのホルモンが一気に増加して激しい動作に必要なエネルギーを作り出す。

恐怖を感じると、血液は両脚などの大きな骨格筋に流れて逃げる準備をする。顔は血の気が引いて青白くなる。同時に、ほんの一瞬、からだが凍りついたように動かなくなり、逃げるべきか隠れるべきかの決断をすることになる。注意は目の前の脅威に集中し、最善の対応をさぐる。

驚いたときに眉をつりあげるのは、視界を広くし、網膜を刺激する光を多く取り入れる働きがある。多くの情報を収集し、正確な状況判断や最適な行動を選択するためだ。

 

このように、感情、情動は種の保存、繁栄に大きな役割を果たしてきた。

しかし、それらが必要とされていた狩猟採集時代の環境と現代の環境は全く異なり、怒りや恐怖の感情をそのまま出すようなことがあると、不都合が生じてしまう。

 

特に情動による急激な心身状況の変化は、反応は速いが、完全に状況を確認する前に反応してしまうので、よく間違いを起こしてしまうのが困ったところだ。

 

典型的なのはトラウマだろう。

激しい恐怖にさらされた経験は、脳に深く刻まれ、その後、少しでも似たような状況を感じてしまうと、客観的には何ら問題ない状況だったとしても、必要以上の反応をしてしまう

このような反応は狩猟採集の時代であれば、敵から攻撃を受ける前に一瞬で逃走することができ、命を守るために大いに役立ったはずだ。ゆっくり考えてから結論を出すよりも、ほんの少しでも危険を察知したら、行動したほうが生存の確立が上がる。

しかし、現代ではそのようなことにはあまり遭遇することはなく、かえって周囲に迷惑をかけるし、場合によっては、自身のキャリアや大切な人との人間関係を壊してしまうこともある。

 

情動のハイジャックと脳のメカニズム

問題行動を起こしてしまうのは、何もトラウマを抱えている人に特有の問題ではなく、誰にでも起きうることだ。この本では、情動によって理性的な思考や行動がとれなくなることを「情動(扁桃体)のハイジャック」と呼んでいる。

 

そこで、なぜ人は理性的な思考や行動がとれなくなるのか。脳の仕組みから情動のハイジャックが起こるメカニズムを簡単に説明する。

(以下の内容は、本書のほか、サイトMindful Music内の記事、「マインドフルネスを理解するための脳科学の基礎【2】感情のコントロールと扁桃体」を参考にした。)

 

人の反応には大きく分けて2つのルートがある。幹線ルート緊急ルートだ。

 

幹線ルート

テーブルの上にリンゴがあったとする。

まず、情報は目から入り、視床を経由して一次感覚野(一次視覚野)へ届く。

この段階では「何かの物体がある」としか認識していない。

 

 

f:id:r-sakima77:20191020153102p:plain

幹線ルート 画像はMindful Music、上記記事より引用

 

感覚野に届いた情報は、連合野に送られる。

頭頂連合野では、「テーブルに置かれた」という空間的な情報を認識する。

側頭連合野では「赤くて手のひらサイズの物体」といった形や色を認識する。

連合野は記憶を保存している海馬と繋がっているため、「テーブルに置かれたリンゴ」という認識ができるようになる。

 

さらに、前頭連合野では、「あれはリンゴだ。食べたいな。今すぐ食べようか、あとにしようか」という推測、判断、調整、意思決定などを行うことになる。

 

意思決定が行われれば、連合野から運動野へ情報が送られ、実際に行動を起こす準備をすることになる。

 

この一連の流れが、人が理性的な判断を下して行動するための幹線ルートだ。

 

緊急ルート

以上のように、幹線ルートは段階を踏んで情報を処理しているのがわかるだろう。

これがリンゴならいいのだが、敵だった場合はどうなるか。

 

茂みにヘビがいてこちらに向いているとする。

「何かグルグル巻きの物体があるな」(一次感覚野)

⇒「茂みのなかに隠れているぞ」(頭頂連合野

⇒「緑色で先端から赤く細長いものを出しているぞ」(側頭連合野

⇒「これは毒ヘビではないか」(海馬から引き出す)

⇒「確認しようか、しばらく様子を見ようか、逃げようか、どうしようかな」(前頭連合野

⇒「逃げよう」(運動野や扁桃体へ情報送信)

 

こんなに呑気に情報を処理していては、ヘビにかまれてしまう(笑)

そこで緊急ルートの出番だ。

 

緊急ルートでは、視床から扁桃体へ情報が送信される。

扁桃体に情報が伝わると、

「ドクロを巻いている物体」=「ヘビ」=「危険」=「緊急事態」

という判断が瞬時に行われる。

 

 

緊急事態と判断した扁桃体からは、脳や身体全体へ「逃げろ!」と発令することになる。

 

f:id:r-sakima77:20191020153358p:plain

緊急ルート 画像はMindful Music、上記記事より引用

 

その発令によって、

視床下部へ命令し、ストレスホルモンを分泌、血圧や心拍が上昇し、筋肉が緊張する。

大脳新皮質の注意回路をコントロールし、ヘビに注意を集中させる。

 

また、緊急事態という情報が、「⼤脳新⽪質」を駆け巡り、その結果、「恐怖」や「不安」といった意識的な感情が⽣まれ、さらに扁桃体を刺激し続ける。

 

このようにして、扁桃体が⽣み出す「恐怖」や「不安」という感情が、脳と⾝体を完全に⽀配する。天敵を前にして、闘争or逃走の行動を起こさなければならないとき、論理的に考えている暇はない。脳と身体を緊急事態モードにしなければならないのだ。

これが、「情動(扁桃体)のハイジャック」と呼ばれる現象である。

 

  

感じる知性・考える知性

幹線ルートのおかげで人は理性的な判断ができ、緊急ルートがあるので緊急事態に対応できる。どちらのルートも人類の繁栄に必要不可欠のものだ。しかし、緊急ルートについては、人類の生存環境の変化により、情動のハイジャックによる誤作動という問題を抱えるようになった。

 

注意しなければならないのは、どちらが良い、悪いという話ではないことだ。

危険などを察知し、瞬時に行動を起こそうとする反応=情動は、いわば「感じる知性」といえる。

それに対し、物事を筋道たてて理解し、論理によって行動を起こそうとするのは「考える知性」である。

逆説的だが、理性的な判断を下すために感情は不可欠な要素だ。感情によって私たちはまず大まかな方向性を与えられ、そこではじめて論理的知力を発揮できる。

人生をうまく生きられるかは、両方の知性のバランスによるのだ。

 

EQの5つの領域

では、両方の知性のバランスをとるためにはどうしたらいいか。

必要なのはEQだ。

EQの具体的な内容として、本書は以下の5つを挙げている。

  1. 自分自身の情動を知る。
  2. 感情を制御する。
  3. 自分を動機づける。
  4. 他者の感情を認識する。
  5. 人間関係をうまく処理する。

 

これらのなかで、①は情動に関わるあらゆる知性の基礎になる。

 

そもそも、情動が生起するタイミングや内容をコントロールすることは不可能だ。

怒ったり、悲しんだりすることを止めることはできない。

止めるということは、人間らしい生き方を放棄するということだ。

 

生起するタイミングや内容をコントロールできないからこそ、自分自身の情動を認識する能力が重要になる。

自分自身の情動を客観的に認識し(1)、状況を違う視点でとらえられるようになると、感情を制御しやすくなる(2)。

自分自身が本当に求めていること、達成したいことを認識し、自分の能力、周囲の状況などを正確に把握すれば、プレッシャーやストレスを適度にコントロールしながら、自分を動機づけ、目標に向かって努力できる(3)。

また、自分自身の感情、情動を認識できれば、他者の感情を認識することができる(4)。共感だ。

共感できれば、意見の相違があっても、相手を尊重しつつ、適切な解決方法を考えることができる(5)。

 

これがEQの基本である。

 

とりあえず今回はここまで。

 

次回は今回の話をベースに「結婚生活の愛憎」について紹介してみたい。

 

  

EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)