自分自身を大切にし、自然治癒力を導きだす ~オステオパシー医が語る自然治癒力

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いのちの輝き

ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン 

 

不思議な本である。

 

帯には吉本ばななが以下のように書いている。

読んでいるだけで、あせり、いきりたった心がなぜか落ちついてきて、自分の心身にごくふつうに気をくばるというあたりまえの大切なことをやろうという気持ちが戻ってくる。読み終えるとすっかり本来のペースが戻っている。そういう力のある声をこの本は持っている。

 

聞きなれない言葉かもしれないが、本書は「オステオパシー」のドクターが書いている。

 

オステオパシーとは何か?

日本ではあまり馴染みがない治療法なので、まずは概略を。

 

オステオパシーは、19世紀にアメリカのスティル医学博士によって開発された。

人間の体は一つのユニットであり、構造と機能とは相互に関係を持ち、自らを防御し、自らを修復しようとする能力=自然治癒力を備えている。

このような考えのもと、手技によって自然治癒力を導き出し、健康を回復する治療法がオステオパシーである。いわゆる代替療法といえるだろう。

アメリカでは、オステオパスは西洋医学医師(M.D.)と同様に正規の医師とされている。

 

機能と構造が相互に関係するとは、どういうことか。

例えば、足首の小さなズレがあったとすると、それは周辺の靭帯、筋、他の関節にすぐに伝わり、内臓にも影響し、実は全身に影響しているのだということである(構造⇒機能)。あるいは、内臓機能の低下により、その関連する筋などが緊張し、体の構造を歪ませることもありえる(機能⇒構造)。

 

以下、印象に残った部分を抜粋しながら紹介する。

 

  

オステオパシーについて

少し長くなるが、そのまま引用する。

 

(からだのシステムを個別的、専門的に見がちな西洋医学の医師と比べて)オステオパシー医はもっとホリスティック(全体論的)な方法を好む。われわれは人間をたくさんの「からだ」が集まってできているものだと考えている。血管系のからだ、神経系のからだ、筋肉系のからだ、骨格系のからだ、などなどのことだ。それらすべてのからだはたがいにつながりあっていて、どれひとつがバランスをくずしても健康は維持できない。つまり、オステオパシーがいちばん大切にしているのは、健康の基盤がさまざまな身体システム間の正しい関係の維持にあるという信念なのだ。~中略~

 また、この「助ける」ということばがキーワードになってもいる。オステオパシー医は、からだには自然に治る力があると信じている。われわれが仕事をすべてやってのけるわけではない。われわれの仕事が終わったら、あとはからだ自身が仕あげを引き受けてくれるのだ。(22ページ)

 

人間のからだは解剖学の教科書が教えているものよりもずっと複雑なものだ。だれもが知っている器官系のしくみや生理作用のほかに、まだよく知られていない事実がある。それは、からだが活発に動くエネルギーの、入り組んだ複雑な流れによってもできているということだ。そのエネルギーの流れがブロックされたり圧迫されたりすると、われわれは本来あたえられているからだとこころのしなやかさ、つまり流動性を失う。そのブロック圧迫が長くつづくか、または短時間でも深刻なものであれば、不快や痛み、病気の症状となってあらわれることになる。

医師としてのわたしの目標は、患者がそのエネルギー・ブロックを解除する作業を手助けすることにある。というのも、エネルギーが解放されて流れるようになりさえすれば、からだは自然に治癒のプロセスをたどりはじめるからなのだ。(15ページ)

  

抗生物質について

著者は、抗生物質の使用を否定しているわけではなく、その有用性を認めつつも、

  1. 必要性がないのに抗生物質が使われている場合があり、それは患者が自分自身の健康に責任を持つことを奪ってしまっている
  2. 安易な使用は耐性菌を増やしてしまう
  3. 「おさえる」ということは、いつの日か再燃させる可能性がある

 とし、安易に抗生物質に頼っている現状を憂えて次のようにいっている。

 

 いまでは、熱がでたらまず熱をとれといわれる。オステオパシー大学で学んでいたころ、われわれはそれと反対のことを教わった。なんであれ、熱をあげることによって外にあらわれようとしているものにたいする、からだの反応を促進するようにと教わったのである。摂氏39.5度までの熱なら心配する必要はない。からだはたえず、役割を終えたある種の細胞を焼却しつづけている。それは死滅のプロセスにある細胞で、いずれからだから排出される。それらの細胞が通常のパターンでからだから排出されなくなると、どこかに蓄積しはじめる。そこで母なる自然がふだんより高い熱を発して死んだ細胞を焼却し、排出作用を回復させる。発熱はからだが必要としている正常なはたらきなのだ。(74ページ)

 

 健康への意思

からだは健康になりたがっているという。

自分本来の自然な状態はけっして虚弱な状態ではない。健康な状態であることに気づいた人は、自分のからだを大切にするようになる。

西洋文化の弱点は、みずからの欲望の犠牲になっている人があまりに多いところにある。人びとは健康でいようという意思よりも不満を訴えたいという欲望、自分を弱いものだと考えたいという欲望のほうが大きい。

 

 自分を哀れな弱者だと考えるのをやめ、着実に健康への道を歩んでいるのだと自分に言い聞かせればいいのだ。欲望をコントロールしようとする意思によって傷つくことはありえない。わたしの経験では、その意思こそが、こころ強い味方になってくれるものだ。(112ページ)

 

食事

食事についての最良のアドバイスは「バランスよくたべる」ことだが、

 食事の量や栄養素の比率は人によって違い、活動状況によっても変わる。固定した比率はない。自分をよく見つめ、自分の体型を自覚し、自分のからだとこころを知ることが先決だ。それがわかれば、食事の量と質はおのずとわかってくる。(139ページ)

 

のみこむ前に100回噛め、というアドバイスがあったりするが、気にする必要はないという。消化する力は人それぞれだ。

 個人の特殊性を無視した、万人に通用するたべかたや完全な食事などというものはありえない。自分の特殊性が判明するまでは、感覚をみがき、からだの反応に注意を払いながら、おいしいと感じるものをたべていればそれでいい。(141ページ)

 

 からだによくない食べ物にたいする欲求を克服する最善の方法は、からだにもっと生命力をとりいれて、細胞の活動パターンを変えるという方法だ。(141ページ)

 

健康的な食事や生活をうまく続けているときには、お菓子や加工食品を食べたときに気分が悪くなったり、舌がピリピリとしびれるような感じになったりしたことはないだろうか。そのように感じることができるところまで、生命力を高めていければ自然とからだによくない食べ物に対する欲求は消える。

 

瞑想について 

著者は健康になる秘訣やこころを静めるための方法として、瞑想をあげている。

瞑想によって、自分が自分に隠していた内奥の思い、表現することのできなかった思いを発見する機会が得られる。

 外にあらわれる通路がふさがれた思いやイメージは、からだの症状の原因になる。それはことばをとおしてからだからでていくかわりに、からだのなかにひっかかり、溜まっていく。~中略~ たとえば、ある思いが筋肉を収縮させる。そのことによって血液の循環が悪くなり、神経インパルスの活動が低下する。すると、その部分にうっ血が生じ、感染が起こりやすくなる。そうなったら、胃の痛み・首のこり・胸の刺すような痛みなど、なにが起こってもおかしくなくなる。

 瞑想をしていると、自分でも予想外の隠れていた思いやイメージがつぎつぎとこころに浮上してくる。亡くなったある人のイメージを長いあいだ内奥にかかえこみ、悲しみの感情をおさえていたことにはじめて気がつくようになるかもしれない。ここが大事なところなのだが、その悲しみを外に表現しないままにしておくと内部のどこかで表現され、それがいずれ症状となって外にあらわれることがあるのだ。(149ページ)

 

 瞑想はパフォーマンスではない。目標達成とは無縁である。それはただ、すべてを手放して、ものごとが流れて行くにまかせることである。(152ページ)

 

短い文章だが、マインドフルネスの本質だ。 

 

子どもについて

少しだが、子どもの育て方につていも書かれている。たとえば、

 ここで忠告をひとつ。子どもはあまり早い時期に歩かせないことだ。生後11か月から12ヵ月ごろで歩きはじめるのがふつうだが、これにも個人差がある。ところが、少しでも早くから歩かせようとして、椅子につかまらせたり、テーブルのうえで手をひいたりする親が多い。それはやめてほしい。子どもには這うという発達段階を完了させる必用がある。わたしの観察では、あまりに早くから歩かせられた子ども(「えらいわね」と親はいうが)は、学校で学習困難におちいるおそれがある。人間のからだは一定の道すじをとおって発達するようにできている。歩行はたんに脚にからだを支えるだけの力がつくというだけのものではない。発達の各段階で、神経系がしかるべく前進をとげなければならないのだ。(173ページ)

 

 神について

宇宙や生命力に関するところでは、神について以下のように触れている。

 その普遍的な生命力こそ、創造主といわれる神の別名である。だから、神はエネルギーというかたちをとって、われわれひとりの内部にいる。現代では、ほとんどの人が、神は内部にではなく外部にいると教えられている。それがまちがいののもとだと、わたしは思っている。(45ページ)

 大事なところをさらっと書いている。

宗教となじみのうすい日本人には分かりにくい分野だが、過去に紹介したエーリッヒ・フロムの「愛するということ」にも同じような内容が書いてあるし、小説では遠藤周作の「」、「沈黙」などでも感じることができる。

 

愛、霊性(スピリット)について 

霊性とは不完全な世界にあって幸福を見いだす能力のことだといっていい。

 それはまた、自己のパーソナリティの不完全さを理解し、それをそのまま受容することでもある。理解し、受容したときのこころのやすらぎから、創造性と利他的に生きる能力が生まれてくる。(185ページ)

 

 自分が不完全であることを理解し、自己受容することは、心の平穏の基礎だ。

様々な心理療法の出発点もここにあるといっていい。 

 

 愛とは霊的な力を発現させるエネルギーのことである。

 からだをめぐるその力を感じる能力が高まれば、それだけ愛を感じる能力が高まる。

 惜しみなく愛することができれば、からだ・こころ・たましいをはたらかせ、成長へ向けている力のバランスを維持していることになる。

人を愛する能力の有無は、その人の内部にある本質に気づき、それをうやまう能力の有無にかかっている。その本質の美しさに気がつくと、その人にひきつけられるようになる。その人もあなたにひきつけられる。もはや、そこにいるのはふたりの人ではなく、ひとつ、たがいに分かちあう愛のなかでつくられたひとつの存在である。愛の行為とは相手を「全体」にひろげることであり、愛とはあたえ、またあたえることである。(198ページ)

 

 

目に見えない内的世界を理解するためにもっと時間を費やしてほしい。変えなければならないものは、その内的世界にある。(201ページ)

 

その変化を大きなものにしていくためのただひとつの道は、あなた自身が自分を大切にすることである。肉体的にも、精神的にも、霊的にもだ。自分の健康のために配慮し、行動することはすべて、あらゆる人、あらゆる生き物の健康に寄与することにつながるのだ。(203ページ)

 

読み終えると、心があたたまり、エネルギーが湧いてくる。

そんな一冊だ。 

 

 

 

 

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