夜と霧
ヴィクトール・E・フランクル
フランクルはウィーン大学でフロイトやアドラーに師事して精神医学を学び、ウィーンの精神病院で働いていたが、1942年にナチスの強制収容所に入れられた。
この本の原題は“Ein Psychologeerlebt das Konzentrationslager”
「心理学者、強制収容所を体験する」というような意味らしい。
感動の消滅
荷物の上にごろごろと折り重なるようなぎゅう詰めのなか、何日も昼夜ぶっ通しの移送の果てに列車がたどり着いたのは、アウシュヴィッツ。
最初に行われるのは選別。
ほとんどの人がガス室送りになった。
そんな状況にあっても、人は希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くないだろうと信じる(これを恩赦妄想という)。
しかし人間としての尊厳を打ち砕くような扱いを受けるなか、彼らがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰えていく。
収容されてしばらく経つと、感動の消滅が起こる。
苦悩に満ちた経験をするなか、内なる感情を抹殺しにかかったのだ。
最初の頃は同じ被収容者がサディスティックに痛めつけられているのを見ると、目を逸らしていたのだが、そのうち、無関心に、なにも感じずに眺めていられるようになる。
感情の消滅と鈍麻は、毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾だった。
感情の消滅は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだったのである。
ただし、かなり感情が鈍麻した者でも、ときには憤怒の発作に見舞われる。それは、暴力やその肉体的苦痛ではなく、それに伴う愚弄が引き金になる。
殴られる肉体的苦痛は、わたしたちおとなの囚人だけでなく、懲罰をうけた子どもにとってすら深刻ではない。心の痛み、つまり不正や不条理への憤怒に、殴られた瞬間、人はとことん苦しむのだ。だから、空振りに終わった殴打が、場合によってはいっそう苦痛だったりすることもある。(38ページ)
内面への逃避
精神的な生活を営んでいた感受性の強い人々は、困難な状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあった。逆説的だが、繊細な被収容者のほうが、粗野な人々よりも収容所生活によく耐えたのである。
収容所から工事現場への過酷な行進のなか、隣を歩いていた仲間が、自分たちの妻を思いやる言葉を発した時、フランクルは妻の姿を(心のなかで)まざまざと見た。
妻と語っているような気がし、妻が微笑み、まなざしでうながし、励ますのが見えた。
その微笑みは、その瞬間昇ってきた太陽よりもフランクルを明るく照らした。
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。(中略) 愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへ救われること! 人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるといううことを、わたしは理解したのだ。(61ページ)
工事現場に着き、作業が始まるなか、フランクルは妻との語らいを続けていた。
フランクルはそのとき、あることに気付く。
そのとき、あることに思い至った。妻がまだいきているかどうか、まったくわからないではないか!※
そしてわたしは知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的存在、つまり(哲学者のいう)「本質(ゾーザイン)」に深くかかわっている、ということを。愛する妻の「現在(ダーザイン)」、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。(62ページ)
(※すでに亡くなっていた。)
精神の自由
自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずからの運命の主役を演じるのでなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。さらには空腹と睡眠不足からくる「いらだち」は被収容者心理の特徴だった。
収容所の日々は、内心の決断を迫る状況の連続だった。
それは、人間の独自性、精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に弄ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の前に、跪いて堕落に甘んじるか、あるいは拒否するかという決断だ。
しかしそんな究極の状況でも、あたえられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えないという例は、一部の人たちだけではあるが、確実にあった。
生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようが、がんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、その一点にかかっていた。
おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげないなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味のある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。(113ページ)
生きる意味
収容所では、1944年のクリスマスと1945年の新年の週に大量の死者が出た。
これは労働条件や食料事情からは説明できないものだった。原因は、被収容者が生きる意味を見失ったことによるものだと考えられる。多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるだろうという、希望にすがっていたのだ。
ニーチェの言葉は的を射ている。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
では、「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
こんな言葉にたいして、私たちはいったいどう応えたらいいのか。
必要なのは生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。
私たちが生きることからなにを期待するかではなく、生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している者に伝えていくのである。
生きるとは、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。
人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。
私たちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏付けされた、総体的な生きる意味なのである。
わたしたちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは避けられなかった。気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。(132ページ)
人間とはなにか
収容所の監視者のなかにも役割から逸脱する者はいた。
フランクルが最後に送られ、解放された収容所の所長、彼は親衛隊員だったが、こっそりポケットマネーからかなりの額を出して、被収容者のために近くの町の薬局から薬品を買って来させていた(後になって判明した)。彼は被収容者に暴力を振るうこともなかった。
いっぽう、同じ収容所の被収容者の班長は、時と場所を問わず、手段も選ばず、手当たり次第に被収容者を殴った。
ここで言えるのは、収容所監視者であること、あるいは逆に被収容者であったことをもって、ひとりの人間についてなにも語ったことにならない、ということだ。
いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、という単純化はつつしむべきだ。事実はそうではなかった。
わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。(145ページ)
解放後の苦しみ
被収容者は自由を得て、もとの暮らしに戻っても不満と失意に苦しめられる。
ふるさとに帰って気づくのは、そこかしこで会う人たちが、せいぜい肩をすくめるか、おざなりの言葉をかけてくるかだ。彼の不満は膨れ上がり、一体何のために自分はあのすべてを耐えしのんだのだ、という懐疑に悩まされることになる。
収容所で唯一心の支えにしていた愛する人がもういない人間は哀れだ。
夢にみた憧れの瞬間が今や現実になったのに、思い描いていたのは違っているのである。
町の中心部から路面電車に乗り、何年も心のなかで見つめていたあの家に向かい、呼び鈴のボタンを押す。数え切れないほどの夢のなかで願い続けた、その瞬間…
しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。その人は、もう二度とドアを開けない……。
失意という体験では、自分がゆだねられていると感じる運命が問題なのだ。すなわち、自分は考えられるかぎりの苦悩とどん底にたっしたと、何年ものあいだ信じていた人間が、いまや苦悩は底無しで、ここがもっとも深いということはないのだと、そしてもっともっと深く、もっともっと落ちていくことがありうるのだ、と見定めてしまうのだ……。(155ページ)
収容所にいたすべての人びとは、わたしたちが苦しんだことを帳消しにするような幸せはこの世にはないことを知っていたし、またそんなことをこもごもに言いあったものだ。わたしたちは、幸せなど意に介さなかった。わたしたちを支え、わたしたちの苦悩と犠牲と死に意味をあたえることができるのは、幸せではなかった。にもかかわらず、不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。少なからぬ数の解放された人びとが、新たに手に入れた自由のなかで運命から手渡された失意は、のりこえることがきわめて困難な体験であって、精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことではない。そうは言っても、精神医をめげさせることはできない。その反対に、奮い立たせる。ここには使命感を呼び覚ますものがある。(156ページ)
本書は東日本大震災後の被災地の書店でよく売れたという。
自分自身ではどうすることもできない圧倒的な状況において、それでも生きていく、生きていくことに意味を見出す、とはどういうことか。
生きることとは、苦しむことと、死ぬことにも裏付けられた総体的なもの。
厳しい内容だが、この本からは、希望も感じることができると思う。