不滅の遺伝子
リチャード・ドーキンスはイギリスの進化生物学者、動物行動学者。
この本の初版の出版は1976年。今回読んだものは40周年記念版。
この本の内容を一言で説明すれば、
「すべての生物は、遺伝子を運ぶための生存機械だ」
ということになる。
この表現は、当時、多くの人に衝撃を与えたらしい。
それまでのダーウィンの進化論では説明できない、生物個体の利他的行動を説明できたという点で、パラダイムシフトをもたらした。
それまで個体レベルで考えられていた自然淘汰を遺伝子レベルで説明している。
ここでいう利他主義とは、自分自身の生存や繁殖の可能性が低くなっても、他者の生存や繁殖の可能性を高める行為のことである。
例えば、ミツバチのような社会性昆虫の場合、働きバチは不妊であり、自らは子孫を残さずひたすら女王バチに献身する。また、外敵が近づけば、自らの命を犠牲にして(針で刺すことによって絶命する)、攻撃する。
個体レベルで見れば、自分自身の生存や繁殖を犠牲にして、他者の生存や繁殖を高めていると言える。
なぜそのような行動をとるのか。
仮に働きバチが繁殖したとすると、その子に自分の遺伝子が引き継がれる割合は50パーセントであり、女王バチの繁殖を助けて自分の妹を助けると、その妹は自分の遺伝子の75パーセントを引き継ぐことになる(割合の計算は精子及び卵子作成時の減数分裂、交叉及びミツバチの繁殖方法によるもの。長くなるので詳細は省略)。
とすれば、働きバチとしては、自らが繁殖活動をするよりも、女王バチの繁殖を助けたほうが自らの遺伝子を多く残せることになり、自らの命を犠牲にしてでも、その他の沢山の妹たちの命を救うことが、自らの遺伝子(のコピー)の生存確率を上げることになるのである。
イルカが溺れた人間を助けたというよく聞く話については、以下のような説明をする。
イルカは群れで生活するが、その群れの中には近縁である個体がいる可能性が高い。したがって、自らの遺伝子の生存確率を上げるためには、溺れかけている群れのメンバーがいれば、助けることが必要だ。そのために必要な生存機械(個体)への規則(プログラム)は、「水面近くで息ができずにもがきまわっている細長い物体」がいれば助けろということになる。
イルカが人間を助けることがあるのは、その規則の誤用だという。
雄と雌の利害の対立も遺伝子レベルで説明する。
理論的には個体というものは、可能な限り多数の異性と交尾して、しかもそのつど子育てはすべて相手に押し付けることを「希望」する。少ない投資(精子または卵子の提供)で自らの遺伝子を多く残せるからだ。
しかし、雌は大型で栄養をたっぷり含んだ卵子の形ではじめから雄より多く投資しており、また、妊娠する種も多く、雌はどの子どもに対しても雄より深く「身を投じて」いる。
どのような種でも、雄の側には別の雌とさらなる子どもを作ろうとさせるような進化的圧力がある程度作用しているのはあたりまえと見るべきで、精子より卵子が大きいという事実が、雌の側が搾取されやすいということを生み出した基本的な進化的根拠なのだ。
もっとも、雌の側もこれに対抗するために、交尾に応じる前に雄が子どもに対して多量の投資をするように仕向けることによって、交尾後の雄を、もはや妻子を棄てても何の利益も得られない状態にする戦略(「家庭第一の雄を選ぶ」戦略)をとったりする。
このような対抗策に対して、雄がどのような形で対応するかは、種をめぐる生態学的な状況が決定する。
人間はどうか。
男性は一般的に乱婚的傾向、女性には一夫一妻制的な傾向がありつつも、基本的には一夫一妻制の社会が多い。
しかし、一方では乱婚的な社会もあるし、ハーレム制のような社会もある。この驚くべき多様性は、人間の生活様式が、遺伝子ではなくむしろ文化(ミーム)によって大幅に決定されていることを示唆しているという。
その他にも、親子間の利害の対立、動物の産児制限なども遺伝子レベルで説明している。
種のなかでどのような戦略をとる個体が多数を占めるようになるか、という部分は反復囚人のジレンマ、ノンゼロサムゲームなど、ゲーム理論の話がでてきて面白い。
人間の文化については、遺伝子以外の新たな自己複製子として、「ミーム」という概念を提唱している。
ドーキンスは「すべての生物は、遺伝子を運ぶための生存機械だ」と表現することによって、生物の世界を、遺伝子を単位とした生き残りのための非情な世界として描いた。動物の利他的行動のように見えるものは、遺伝子が生き残るための戦略に過ぎず、利他的行動を否定したことから、多くの人にショックを与え、たくさんの批判を受けたらしい。
ある人には三日間眠れなかったと告白され、また、遠い国のある教師は
私(ドーキンス)に避難がましい手紙を寄越し、この本を読んだ一人の女生徒が、人生は空しく目的のないものだと思い込み、彼のところに来て泣いたと言ってきた。この教師は、他の生徒が同じような虚無的な悲観論に染まることを怖れて、彼女に友達にはこの本を見せてはいけないと忠告したそうだ。(P20)
しかし、ドーキンスの意図はそうではない。
おそらく、宇宙の究極的な運命には目的など実際存在しないだろうが、・・・私たちの生活を支配しているのは、もっと身近で、温かく、人間的な、ありとあらゆる種類の野心や知覚である。人生を生きるに値するものにしている温かさを、科学が奪い去ると言って非難するのは途方もない間違い・・・(P21)
また、人間については以下のような希望に触れている。
人間には、意識的に先見する能力という一つの独自な特性がある。
一方、利己的存在たる遺伝子に先見する能力はない。
私たちがたとえ暗いほうの側面に目を向けて、個々の人間は基本的には利己的な存在だと仮定しても、私たちの意識的に先見する能力(想像力を駆使して将来の事態を先取りする能力)には、自己複製子(遺伝子やミーム)たちの引き起こす最悪で見境のない利己的暴挙から、私たちを救い出す力があるはずだ(P344)。
矛盾に満ちた自分自身の思考や行動について、何かヒントのようなものをもらえた気がする。
- 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/05/25
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