勇気二部作

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「嫌われる勇気」 「幸せになる勇気」  岸見一郎 古賀史健

 

トラウマは存在しない。あなたの不幸はあなた自身が「選んだ」もの。

すべての悩みは対人関係である。すべての喜びもまた、対人関係の喜びである。

 

アドラー心理学の本。青い本が先に出て、赤い本は続編という扱い。

言葉だけ拾っていくと、かなり過激で、誤解を与えかねないので、ここでうまく紹介できるかどうか。自分の理解もまだまだだが、とりあえず、部分的に紹介してみようかな。

 

トラウマの否定

まず、アドラーはトラウマを否定する。

フロイト的なトラウマの議論(原因論)ではなく、今の「目的」を考える。

例えば、就職などでうまくいかず、ひきこもっている青年がいたとした場合、その青年は不安だから外に出られないのではなく、外に出たくないという「目的」から不安の感情を作っていると考える。

職場の人間関係で考えれば、「あの上司がいるから、仕事ができない」(原因論)、「できない自分を認めたくないから、嫌な上司をつくり出す」(目的論)。

 

すべての悩みは対人関係

すべての悩みは対人関係から生じるという。

例えば、自分のことが嫌い(劣等コンプレックス)であることは、他者とは関係ないことのように思えるが、その背景は、他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているから。「目的」は他者との関係で傷つかないことにあり、自分のことをあらかじめ嫌いになることで、他者から嫌われたときの精神的な保険や理由にしている。

 

他者の課題を切り捨てる

では、対人関係の悩みにどう対処していくか。その入り口が「課題の分離」。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込んだり、自分の課題に土足で踏み込まれることによって起こる。

なかなか勉強しない子どもがいる。授業は聞かず、宿題もやらない。それに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者(子ども)の課題に対して、土足で踏み込むような行為である。これでは衝突し、勉強をしないか、身にならない勉強をすることになる。

自分のことが嫌いな劣等コンプレックスの人は、他者が自分をどう思うかは他者の課題であることを理解することが必要。

 

共同体感覚

対人関係の入り口は「課題の分離」だが、そのゴールは「共同体感覚」である。

これはアドラー心理学の鍵概念であるが、その理解は難しい。

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること、という。

 共同体感覚に必要なのは、「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」。

ありのままの自分を受け入れ(自己受容)、対人関係を良くし、横の関係を築き(他者信頼)、人々を信頼し、自分の仲間だと思えるからこそ、「他者貢献」することができる。人は他者貢献できていると感じるときに幸福を感じる。自分の居場所があると感じられるのだ。

 

問題行動の5段階

アドラーは賞罰を否定するが、その前段として、問題行動の5段階を理解するとわかりやすい。

 子どもの教育で考えれば、まず、知らないのであれば教える。叱責は必要ない。

意図的に問題行動を起こしている場合は、その「目的」を考える。

問題行動には5段階ある。

  • 第1段階「賞賛の欲求」・・・いい子を演じる、やる気や従順さをアピールする。
  • 第2段階「注目喚起」・・・いたずらなどをして目立つ、できない子として振る舞う
  • 第3段階「権力争い」・・・親や教師に反抗する、非行に走る、不従順、無視。
  • 第4段階「復習」・・・相手が嫌がることを繰り返す。ストーカー、自傷行為、ひきこもり
  • 第5段階「無能の証明」・・・なにごとにも無気力、簡単な課題にも取り組まない。

第1と第2段階はほめてもらったり、目立ったりすることで、「共同体のなかで特権的な地位を得る」ことを目的としている。対処法は、「特別」でなくても価値があることを教えていく。尊敬をもって(後述)。

第3段階はその戦いに勝利することによって、特権的な地位を得ようとする。権力争いを挑まれたら、乗らない。叱責はもちろん、不愉快な表情をすることでも土俵に乗っていることになる。法に触れる場合のみ、法で対処。

第4段階はきつい。賞賛の欲求、注目喚起、権力争い、これらはすべて「もっとわたしを尊重してほしい」という、愛を乞う気持ちの表れ。そうした愛の希求がかなわないと知った瞬間、人は一転して「憎しみ」を求めるようになる。「憎悪という感情のなかで、わたしに注目してくれ」というものだ。

ストーカーは相手に迷惑がかかっていることは百も承知。良好な関係に発展しなくても、「憎悪」や「嫌悪」によって相手とつながろうと画策している。

第5段階は、これ以上傷つかないために、自分には能力がないと信じ込むようになる。

第4と第5は当事者での解決は難しい。しかし、多くの問題は第3段階でとどまっているため、そこから先に行かせないことが重要だ。

 

叱ってはいけない、ほめてもいけない

まず、怒ることと叱ることを区別し、叱ることを肯定する考え方もあるが、アドラーは否定する。暴力的な「力」の行使によって相手を押さえつけようとしている事実にはなんら変わりがないからだ。暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーションの手段でしかない。

また、人は叱責を受けたとき、その力に従うのと同時に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が無意識に働く。

では、ほめることはどうか。

ほめることによって、承認欲求が満たされることになるが、承認欲求にとらわれると他者から認めてもらうことを願うあまり、他者の要望に沿った人生を生きることになってしまう。承認には終わりがない。永遠に求め、永遠に満たされないのだ。

さらに、ほめることは、能力のあるものが能力のないものにすることであり、それは「縦の関係」につながる。共同体感覚は他者を信頼する「横の関係」でなければならない。

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くことを教えていかなければならない。

 

 「わたしであること」の勇気

「わたしであること」に価値を置く、その一歩を踏み出す勇気づけをするために、相手を「尊敬」する。

「尊敬」とは、「人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力」(エーリッヒ・フロム)

「特別」である必要はない、ありのままでいいことを理解できれば、問題行動に移っていくこともない。

 

 

・・・ まとめられそうにないのでここまで(ここまでもまとまっていない(-_-;))。共同体感覚は難しい。

この後、最重要である愛のタスクの話があるのだが、力不足でまとめきれないので、また機会があればそのときに。

この本自体は哲学者と青年が討論する形式になっており、スラスラ読める。だが、アドラー心理学の中身は深く濃く、何度も反芻しないと理解できない。

とっつきやすいのは目的論や課題の分離。誰か困った人がいるとして、その人が問題行動をとる目的が何かを考えると、心に余裕ができるし、ふっかけられていることが、誰の課題なのか分離できると、対処しやすくなる。

赤い本は青年が教師になって壁にぶち当たっているところをテーマにしているので、教育関係の方は何らかの示唆が得られるのではないだろうか(先に青い本を読まないと理解しにくいはずだが)。

それと、アドラー心理学は「勇気づけの心理学」と言われ、多くの人の悩みを軽くするが、劇薬の部類に入ると思うので、本当に心が弱っている人には逆効果になるかもしれないことに注意する必要がある。

 

最後に、共同体感覚、横の関係などに疑問をぶつけた人にアドラーが答えた言葉。

「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたに関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」