黒澤明の「生きる」


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生きる 黒澤明

 

初めて黒澤映画をちゃんと観た。

 

タイトルは重いが、テンポ、雰囲気は意外に軽い、というかコメディに近い部分もある。

「生きる」ことは何かを主題に、人生の喜怒哀楽、美しさ、人間の滑稽さ、可笑しさが絶妙なバランスで表現されている。 

 

主人公は市役所の市民課長。定年まであと数年というところ。

市民の意見や要望を関係課に繋ぐのが主な仕事。

典型的なお役所仕事で、書類に目を通し、ハンコを押す毎日。

一見、忙しそうに働いている。

しかし、やってもやらなくてもいいようなことをし、忙しそうなふりをして時間を潰しているだけ。「彼は生きているとはいえない」(ナレーションの言葉)。

 

そんな主人公、体調不良で病院へ。

そこで自分が末期の胃がんであることを知る(確信する)。

 

口下手な主人公は胃がんであることを息子夫婦にも伝えられず、途方に暮れる。

 

コツコツ貯めた貯金を下ろして、高いお酒を飲み、夜の街に繰り出して派手に遊ぼうとするが全く楽しめない。

 

生きている実感がない。残された人生をどう生きればいいのか。

 そんな中、部下の若い女性職員が、役所の仕事はつまらないから辞める、決裁のためにハンコを押してくれと頼みに来る。

 

生命力あふれる彼女に魅力を感じる主人公。

彼女と一緒にいると楽しい。どうしたら残りの人生を楽しめるのか彼女から教えてもらえるのではないか。

彼女の生命力の秘密を知りたくて、しつこくすがる。

そこで彼女が発した一言。

「課長さんもなにか作ってみたら」

 

ここから主人公の行動が一変する。

無断欠勤していた職場に出勤し、仕事に手をつけはじめる。

ここでシーンが切り替わる… 

 

 

次のシーンは主人公のお通夜。

 助役を筆頭に各部長や主人公の部下など、市役所関係者がずらりと並ぶ。

 

話題の中心は、ここ数か月、主人公は人が変わったように仕事に打ち込んでいたが、自分の死期を知っていたのかどうか。

 

主人公が打ち込んでいた仕事は、公園建設だった。

ある地区の住民が公園の建設を求めていたが、道路、下水、環境衛生など各課をまたぐ様々な問題があり、たらい回しになって実現できないでいた。

主人公は関係各課に頭を下げ、調整して回り、公園建設を実現させたようだ。

 

しかし、誰も主人公の手柄だとは言わない。

助役は土木部長や公園課長の手柄だと言い、土木部長は入り組んでいた問題をとりまとめた助役が最大の功労者だと言い、結局みんなで助役を「よいしょ」する…

 

でも、主人公の努力を見ていた人たちは居る。

公園建設に感謝している住民が焼香に来て、すすり泣いて悲しんでいる。

助役や幹部連中は気まずくなり帰っていく。

 

市民課の部下たちが 、主人公が死期を知っていたことに気づいたとき、主人公の生きている最後の姿を見た(主人公は公園で亡くなっているのを発見されている)という警察官が焼香に来る。

 

警察官の見た主人公の最後の姿。

その回想シーンは、モノクロ映画であることを忘れるほど美しい。

 

雪の降る夜、完成した公園で一人ブランコに乗る主人公。

充実した表情を浮かべながら「ゴンドラの唄」を歌う。

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを…

 

 

主人公は日々を何となく過ごしてしまう私たちのことを指しているのだろう。

誰しも自分の人生に終わりがあることを知っていながらも、自分の死を他人事のように捉えている。

自分の死期を知ったら本当に今の過ごし方ができるだろうか。

限りある人生を大切に過ごしなさい、精一杯楽しみなさい、そんなメッセージを感じる。

 

それにしても、主人公が胃がんであることを確信するシーンはまるでコント。

助役を「よいしょ」するシーンは気持ち悪さを感じながらも、ニヤニヤ。

あと、お通夜の席で主人公の意志を継ぐぞ!と決意表明した部下たち。

そのあと職場ですぐに前言撤回行動!

お酒飲んでるときの決意表明なんかあてにならない(笑)

 

モノラル音声、セリフも一部早口、同じカットなのにセリフの音量が変わるなど、普通だったらなかなか集中できないが、140分があっという間だった。

いい映画だ。 

 

 

生きる

生きる

 

  

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)

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