走行距離:545.15km
走行時間:19h50m
獲得標高:3791.1m
消費エネルギー:10836.2kj
かなり乗ってない。
そろそろちゃんと練習しないと・・・(^^;
JBCFおきなわロードレース 2日目 E3
ちょっとだけ観戦。
みんな頑張っいて、いい刺激になった。がんばろう。
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JBCFおきなわロードレース 2日目 E3
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トラウマは存在しない。あなたの不幸はあなた自身が「選んだ」もの。
すべての悩みは対人関係である。すべての喜びもまた、対人関係の喜びである。
アドラー心理学の本。青い本が先に出て、赤い本は続編という扱い。
言葉だけ拾っていくと、かなり過激で、誤解を与えかねないので、ここでうまく紹介できるかどうか。自分の理解もまだまだだが、とりあえず、部分的に紹介してみようかな。
まず、アドラーはトラウマを否定する。
フロイト的なトラウマの議論(原因論)ではなく、今の「目的」を考える。
例えば、就職などでうまくいかず、ひきこもっている青年がいたとした場合、その青年は不安だから外に出られないのではなく、外に出たくないという「目的」から不安の感情を作っていると考える。
職場の人間関係で考えれば、「あの上司がいるから、仕事ができない」(原因論)、「できない自分を認めたくないから、嫌な上司をつくり出す」(目的論)。
すべての悩みは対人関係から生じるという。
例えば、自分のことが嫌い(劣等コンプレックス)であることは、他者とは関係ないことのように思えるが、その背景は、他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているから。「目的」は他者との関係で傷つかないことにあり、自分のことをあらかじめ嫌いになることで、他者から嫌われたときの精神的な保険や理由にしている。
では、対人関係の悩みにどう対処していくか。その入り口が「課題の分離」。
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込んだり、自分の課題に土足で踏み込まれることによって起こる。
なかなか勉強しない子どもがいる。授業は聞かず、宿題もやらない。それに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者(子ども)の課題に対して、土足で踏み込むような行為である。これでは衝突し、勉強をしないか、身にならない勉強をすることになる。
自分のことが嫌いな劣等コンプレックスの人は、他者が自分をどう思うかは他者の課題であることを理解することが必要。
対人関係の入り口は「課題の分離」だが、そのゴールは「共同体感覚」である。
これはアドラー心理学の鍵概念であるが、その理解は難しい。
他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること、という。
共同体感覚に必要なのは、「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」。
ありのままの自分を受け入れ(自己受容)、対人関係を良くし、横の関係を築き(他者信頼)、人々を信頼し、自分の仲間だと思えるからこそ、「他者貢献」することができる。人は他者貢献できていると感じるときに幸福を感じる。自分の居場所があると感じられるのだ。
アドラーは賞罰を否定するが、その前段として、問題行動の5段階を理解するとわかりやすい。
子どもの教育で考えれば、まず、知らないのであれば教える。叱責は必要ない。
意図的に問題行動を起こしている場合は、その「目的」を考える。
問題行動には5段階ある。
第1と第2段階はほめてもらったり、目立ったりすることで、「共同体のなかで特権的な地位を得る」ことを目的としている。対処法は、「特別」でなくても価値があることを教えていく。尊敬をもって(後述)。
第3段階はその戦いに勝利することによって、特権的な地位を得ようとする。権力争いを挑まれたら、乗らない。叱責はもちろん、不愉快な表情をすることでも土俵に乗っていることになる。法に触れる場合のみ、法で対処。
第4段階はきつい。賞賛の欲求、注目喚起、権力争い、これらはすべて「もっとわたしを尊重してほしい」という、愛を乞う気持ちの表れ。そうした愛の希求がかなわないと知った瞬間、人は一転して「憎しみ」を求めるようになる。「憎悪という感情のなかで、わたしに注目してくれ」というものだ。
ストーカーは相手に迷惑がかかっていることは百も承知。良好な関係に発展しなくても、「憎悪」や「嫌悪」によって相手とつながろうと画策している。
第5段階は、これ以上傷つかないために、自分には能力がないと信じ込むようになる。
第4と第5は当事者での解決は難しい。しかし、多くの問題は第3段階でとどまっているため、そこから先に行かせないことが重要だ。
まず、怒ることと叱ることを区別し、叱ることを肯定する考え方もあるが、アドラーは否定する。暴力的な「力」の行使によって相手を押さえつけようとしている事実にはなんら変わりがないからだ。暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーションの手段でしかない。
また、人は叱責を受けたとき、その力に従うのと同時に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が無意識に働く。
では、ほめることはどうか。
ほめることによって、承認欲求が満たされることになるが、承認欲求にとらわれると他者から認めてもらうことを願うあまり、他者の要望に沿った人生を生きることになってしまう。承認には終わりがない。永遠に求め、永遠に満たされないのだ。
さらに、ほめることは、能力のあるものが能力のないものにすることであり、それは「縦の関係」につながる。共同体感覚は他者を信頼する「横の関係」でなければならない。
「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くことを教えていかなければならない。
「わたしであること」に価値を置く、その一歩を踏み出す勇気づけをするために、相手を「尊敬」する。
「尊敬」とは、「人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力」(エーリッヒ・フロム)
「特別」である必要はない、ありのままでいいことを理解できれば、問題行動に移っていくこともない。
・・・ まとめられそうにないのでここまで(ここまでもまとまっていない(-_-;))。共同体感覚は難しい。
この後、最重要である愛のタスクの話があるのだが、力不足でまとめきれないので、また機会があればそのときに。
この本自体は哲学者と青年が討論する形式になっており、スラスラ読める。だが、アドラー心理学の中身は深く濃く、何度も反芻しないと理解できない。
とっつきやすいのは目的論や課題の分離。誰か困った人がいるとして、その人が問題行動をとる目的が何かを考えると、心に余裕ができるし、ふっかけられていることが、誰の課題なのか分離できると、対処しやすくなる。
赤い本は青年が教師になって壁にぶち当たっているところをテーマにしているので、教育関係の方は何らかの示唆が得られるのではないだろうか(先に青い本を読まないと理解しにくいはずだが)。
それと、アドラー心理学は「勇気づけの心理学」と言われ、多くの人の悩みを軽くするが、劇薬の部類に入ると思うので、本当に心が弱っている人には逆効果になるかもしれないことに注意する必要がある。
最後に、共同体感覚、横の関係などに疑問をぶつけた人にアドラーが答えた言葉。
「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたに関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」
太閤秀吉亡き後、天下簒奪に向けて周到に謀略をめぐらす家康。太閤の遺命に従い、豊臣家の安泰を守ろうとする三成。その周りで、次期権力者は家康であるとみていち早くすり寄る者、東西どちらにつくのが得策か様子見する者、さらには漁夫の利を得ようと活動を始める者など、関ヶ原の戦いの起点から三成の最後までを描いた歴史小説。
太閤に恩を感じながらも自家のため家康に与していく人間臭さ、人間模様が細かく描かれていて面白い。合戦の描写も迫力満点。
印象に残ったのは、三成の最後。自身の正義を貫き通した。
小説読み終わって、ちょうどタイミングよく、映画「関ヶ原」がレンタル開始されたので、そちらも観てみた。
う~ん・・・
2時間半でこのスケールを描くのは無理があるのか。
まず、各大名の人間関係や心の動きがわかりにくい、というか描くには時間不足。
予備知識がないと何が起こってるのかわからないかも。
小早川秀秋はだいぶ印象が違う。裏切り行動の開始は家康の鉄砲隊による威嚇ではなかった。
福島正則は影が薄い。小山軍議から関ヶ原前哨戦までに果たした役割の大きさ(黒田長政の働きかけ)、太閤に恩を感じながらも三成憎しで東軍に属して猪突猛進していく様子などは描ききれていない。
大谷吉継の獅子奮迅の戦ぶりはもう少し見たかった。
岡田准一の石田三成。イケメンすぎるのかなぁ。へいくゎい者(横柄者)と言われ、諸大名に嫌われていた部分を描こうとしてはいたが、あまり感じられない。
辛口になってしまったが、映画では人間模様を描くにはどうしても限界があるはず。
映画と小説は全く別物と考えて楽しんだほうがよいだろう。
「ヒトはなぜ病気になるのか」
病気の根源にある発症の秘密は、人類あるいは生物の歴史・進化の極めて深い世界にある。
2013年に放送されたNHKスペシャル「病の起源」、4回シリーズのうち、「うつ病」と「心臓病」の2回分を盛り込んだ本。
うつ病は脳の防衛本能の暴走。
人類を含む脊椎動物の祖先である最古の魚は、わずか3センチほどの大きさで、その当時海で繁栄していた三葉虫やアノマロカリスといった節足動物は最大で2メートルにも及んでいた。
そのなかで、生存していくために、天敵や外部の環境の変化に反応する「危険感知センサー」である偏桃体が備わった。偏桃体は、天敵などの危険情報を受け取ると、ストレスホルモンの分泌を指示し、ストレスホルモンが分泌されると、血糖値や心拍が上昇し、代謝が高まって全身の筋肉が活性化する。このメカニズムによって、生存競争を生き延びてきたのだ。
しかし、偏桃体を要とするメカニズムは、うつ病を引き起こすことが最近の研究でわかってきた。実験では、天敵の恐怖に1か月さらされつづけていたゼブラフィッシュが、水槽の底でじっと動かなくなり、群れを作らず一匹でいるようになる。さらに進むと、食欲や繁殖行動の低下などの症状もみられ、ヒトのうつ病と症状が似ているという。
また、平等や不平等にも偏桃体が関わる。
それは、人類の進化のなかで、集団で人と人との関係が重要になったことが理由として考えられるという。集団の中で他の人より損をすれば、本人の生存にとって不利になるから恐怖や不安を司る偏桃体が活動する。逆に他の人より得をする場合は、周囲のねたみを買い、集団から孤立するので生存にとって不利になり、偏桃体が活動する。平等であれば両方のリスクが生じないから反応しない。
狩猟採集時代は、得た食料を平等に分けあう社会だったが、文明が誕生し、農耕社会が訪れると、状況は一変する。
農業の技術が発達し、穀物の余剰が生まれると、それは「富」となり、人々に貧富の差が生まれる。そして階級社会へと移っていく。
階級社会は当然不平等であるので、うつ病が増えていく。
ほかにも、発達した脳による記憶力、ヒトだけが身につけた言語、孤独など、進化によってうつ病のタネが植え付けられている。
現代の深刻化する貧困、多様化する職業(格差)、拡大する都市でのくらし(孤立)はよりうつ病の発生率を上げているとのこと。
人間の脳や体は700万年に及ぶ進化によって作られました。その歴史の99%以上は、狩猟採集の生活であり、農耕文明以降は1万年、現代社会に至っては、わずか100年あまりしかありません。つまり、私たちの脳と体は、現代社会の暮らしに対応し切れていないのです。ですから、祖先が行っていた規則正しい食事、そして、十分な睡眠と運動を心掛けることが生活習慣病を防ぎ、うつ病を予防・克服する基本となるのです。
話が飛ぶが、うつ病の仕組みがわかると、アドラー心理学の「共同体感覚」はとても有効な考え方だなと感じた。
心臓病については、 冠動脈とかいろいろでてくるが、図がほとんどなく、イメージが湧きにくかったため、割愛。
直立歩行をすることによって、血圧の管理が他の動物より難しくなったようで、それに脳の発達が合わさって、人間の心臓は大変らしい(適当でスイマセン)。
病の根源的な原因を知ることにより、より根本的な予防や治療を考え、病との向き合い方も変わる一冊。
「アルケミスト」
自分はどこからきて、今どこにいて、これからどこに行くべきか(どう生きるべきか)を考えるきっかけを与えてくれる小説。
1988年に出版され、全世界で1000万部を超えているそうだ。
アマゾンのレビューも438件と多く、評価も高い。
主人公のスペインの少年はエジプトのピラミッドのそばで宝物を発見する夢を見る。
その夢が何を意味するのか探しているときに、ある老人と出会う。
老人曰く、「おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれる。」と。その一方で、若いころはすべてがはっきりしていて可能だが、人は徐々に心が曇り、他人の評価が大切になり、失うことを恐れ、「自分の運命を実現することは不可能」だと思い込むようになるとも。
その後、少年は宝を求め、ピラミッドへの旅を始めるが、様々な困難が少年を襲う。
何度も挫けそうになるが、自分の心との対話のなかで、心は少年に話はじめる。
私は人の心ですからね。人の心とはそうしたものです。人は自分の一番大切な夢を追求するのが怖いのです。自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。
それに対し、少年の師匠(のようなもの)であるアルケミストは、
「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいもの」であり、「夢を追求しているときは、心は決して傷つかない。」と語る。
その後、少年は心と丁寧に対話し、自分が本当に求めているものは何かを思い出し、過去や未来、不安や恐怖を克服していく。
本のレビューのなかには、スピリチュアル的な感じがするというものもあるが、自分の言葉や自分の世界に置き換えて読んでいくと、そうではないことに気づくと思う。
言っていることはとてもシンプル。
※注意点
この本の世界にはまり込むと、脱サラしたくなる人もいるはず(笑)
(脱サラしたい人、必読!)
アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)
「新インナーゲーム」
W.T.ガルウェイ 著 後藤新弥 訳・構成
12月にパワーメーターをROTORからパイオニアに変更した。
大きく変わったのはベクトル表示。シクロスフィアの分析も細かい。
得られたデータをどう活用しようか考えていたら、4、5年前に読んだこの本のことを思い出し、再読してみた。
この本は1972年にアメリカで発表され、76年に日本語版が出たものを2000年に改訂したものだ。
当初はテニスの教本として出版したが、テニス以外のスポーツにも活用でき、仕事や人生にも示唆を与えるということで、長く読まれている。
著者はまず、テニスのプレイヤーには2人の自分が同居しているとする。
そして、セルフ1が指示、命令、判断をするほど、感覚が鈍り、ベストのプレーができなくなるという。指示すればするほど、余計な筋肉にスイッチが入るのだ。
テニスプレイヤーがベストのプレーをしたとき、本人はボールを正しく打つにはどうしたらいいか思い出していないし、どこに打ちこむかすら考えてはいないのである。
ベストのプレーをするにはまず、セルフ1を静かにさせることだ。
いい悪いと判断するから、感覚が鈍る。裁判癖をなくす。
それはエラーを無視することではない。起きたことをありのままに見る、しかし、それにプラスもしくはマイナスの付加価値をつけないということ。
プラスに考えることは良いことのように思えるが、一つの事象をプラスに捉えると、それとは逆のことをマイナスであると判断することに繋がる。
セルフ2は素晴らしい器官であり、その知性を認めることが大事だ。
不必要な自分への指示、非難、集中力を途切れさせる過剰管理といった傾向を解消し、自分が主導してことを起こす(MAKE)のではなく、自身に任せて発生させる(LET)。
セルフ2はそもそも言葉のレッスンを翻訳することはできない。
自分が求める結果を出来得る限り鮮明にイメージし、やってくれないかと頼む。
それがセルフ2を信頼するということだ。
「判断をしない、イメージを与える、自然に発生させる」がインナーゲームの原則的なテクニックだが、
「具体的には、ストロークの最中に、自分のリストの感覚に注意を集中・・・数球は柔らかすぎるほどの固さで打ってみる。数球は固すぎるほどで打ってみる。そのように自身を体験させていけば、おそらく自動的に、自身が答えを見つける」
ある者が経験から学び取った技術の知識を受け継ぐことは自分に適した技術を探る上で、効率を高めてくれるが、それを基準にして自身の技術を「正しい」「間違っている」と判断する基準にしてはならない。
そもそも他人と自分は体格、筋肉の量、質、柔軟性、すべて異なる(組み合わせで考えれば同じになるはずがない)のであり、基準にはなりえないのだ。
自転車のペダリングでも、下死点付近では「抜重する」、「靴底の泥を落とすようにする」、「引き脚を使う」、上死点付近では「11時から送りこむ」、「1時で踏む」、「3時~4時で踏む」など、いろんな解説がある。人によって異なるのは、人それぞれ答えが異なるから。それを鵜呑みにして練習するのは時間の無駄だ(反省)。
そうは言っても一度身についた癖を修正するのは難しい。
ではどうすればよいか。習慣を変えるといいという。
上書きインストールとでもいったほうがよいだろうか。
以下はその手順
観察するには集中力が必要だ。
心を静かにさせるためには、それ(雑念など)を追い払うのではなく、「どこかに置く」ことを体得しなければならない。
心がどこかに飛び去ろうとする度に、穏やかにそれを今に引き戻す。
(マインドフルネスそのもの)
さて、ここまではテニスの上達のための話。これだけでもとても参考になるが、ここから先が本当に価値のある部分だ。
著者は、インナーゲームをプレーしながら、自分が本当は何を求めているのかを内省した。
やがて分かったのは、テニスコートでのテニスの上達や勝利だけを望んでいるのではないという事実だった。本当に欲していたのは、自分のベストをプレーし、楽しむことを妨げている、神経質さを克服することだった。
人生を通して著者の体内にずっと埋め込まれていた(著者は競争及び勝つことの意義を信じ切るよう育てられた)、内なる障害にうち勝つことだった。
また、勝利にどのような意味があるか、著者にとって長い間の謎だった。
競争や勝利を重視する考え方には、個人の価値は他人よりいかに強いか(他者との比較)で決まるという誤った価値観に結びつきやすいことに否定的な考え方を持っていたからだ。
そのため、いかに優れたプレーをするかが競技の意味だと信じていた。
しかし、エゴを抜きにした根本的な部分にも勝とうとする動機が隠されていることに気づいた。「勝つとはゴール(目的)に到達するための「障害」にうち勝つこと」なのだ。
対戦相手同士が相手を打ち破ろうとあらん限りの努力をする。これは、相手という人間を敵にしているのではなく、相手が「今、ここで」克服すべき障害を提供しようとしているにすぎない。
真の競争は、真の協力と等式で結ばれる。
テニスには、
がある。
人生の他の局面でも同じだ。あらゆる活動は、外側と内側の両方のゲームから成り立っている。目的と我々の間には、常に外側の障害が存在するが、外側の目的を達成しようとすると内側(心の中)に心配や後悔、困惑が起き、要らざるトラブルを引き起こす。
しかし、内側の障害への対応は常に同じでいい。「今、ここ」に集中することだ。
我々は、学校生活、そして社会に出てからも競争にさらされ、意識的にも無意識的にも他者との比較、優劣を何らかの判断基準として用いていることがある。
自信をつける、自信がない、自信を持て、いろいろあるが、「自信」とはいったいなんだろうか。
自分のある部分を他者と比較し、優れていることで自信を持つということもあるかもしれないが、自分より優れている者が現れればすぐに失うことになる。
この種の自信を揺るぎないものにするには、世界一(宇宙一?)にならなければならない。
誰であれ、自分のセルフ2を改善する必要は、生まれて死ぬまで、一切ない。
そもそも人間の本質には初めから何ら問題はないのだという確固たる真実を理解することが基本だ。(P272)
自分自身を正確に理解し、自分自身に隠し事がなくなること、そこから本当の自信に繋がるのではないだろうか。
「スタンフォード式 最高の睡眠」 西野精治
最強の~、最高の~とかいろいろでてるけど、こちらは睡眠の科学。
現在わかっている睡眠のメカニズムをあまり理屈っぽくなり過ぎず、わかりやすく書かれている。
短時間睡眠でもすっきり目覚ることもあれば、長時間眠ってもだるい朝があることは、誰でも経験があると思う。その理由は入眠直後の90分間にあり、著者によれば、最初の90分をしっかり深く眠ることができれば、最高の睡眠がとれるという。
(但し、ショートスリーパーでない限り、6時間は睡眠時間が必要とのこと。)
では、最初の90分の質を高めるにはどうすればいいか。
子どものようにすぐ眠れる2つのスイッチは「体温」と「脳」であるとのこと。
個人的に参考になったのは、「体温」。
スムーズな入眠には深部体温が下がり、皮膚温度との差が縮まっていることが鍵になる(日中は深部体温が皮膚体温より2℃ほど高い)。
深部体温が下がるためには、毛細血管の発達した手足から熱放散が起こることが必要。
気持ちよく入眠する直前、手足がじわっと温かくなっていく感覚を感じている方も多いと思う。逆に、手足が冷えていると、寝付くのに時間がかかるのではないだろうか。
著者が体温をコントロールするためにおススメしている方法の一つは寝る90分前の入浴。入浴によって、深部体温を上げれば、その後、自然と下がっていくのでそのタイミングで寝るというもの。
しかし、忙しい現代人にとって、毎日時間を計って入浴するのも難しい。その場合は、足湯が有効とのこと。これは、足を温めることで、熱放散を促し、深部体温が下がりやすくなるようにするアプローチだ。
ちなみに、靴下を履いたまま寝るのは、足からの熱放散を阻害してしまい、寝つきが悪くなるとのこと。
「脳」については、あまり印象に残らなかったので割愛。
その他、なるほどと思ったのは、
・昼食後の眠気は腸に血流が増えるからではない。どんな状況でも脳血流は第一に確保される。朝食後眠いということはおこらないことからもわかる。ただし、理由はまだわかっていない。
・寝る前の2時間はもっとも眠りにくい。翌朝早いからといって、いつもより就寝時間を早めても寝つきは悪くなり、睡眠の質は落ちてしまう。
以下は一番印象に残ったところ。
どんな科学的な治療でもできない脳や臓器のメンテナンスが睡眠中だけできる。
科学者や医者が何人集まってもできない体内リズムのバランス調節が眠るだけで整う。
健康のために、サプリだとかいろいろお金をかけたりするけど、まずは睡眠を大事にしないとなと少し反省。