小説に夢中になり、その世界に引き込まれているとき、
文字を読んでいる感覚がなくなっていき、
人物や景色を眺めている
この小説は、それに加えて、「音楽」が
物語の舞台は、3年ごとに開催される国際ピアノコンクール。
主人公は4人。
養蜂家の父とヨーロッパ各地を転々とし、ピアノを持たない少年・風間塵16歳。
かつて天才少女としてCDデビューもしながら、13歳のときの母の突然の死によって、音楽の表舞台から姿を消していた栄伝亜夜20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマン、高島明石28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。
一次予選、二次予選、三次予選、本選と進んでいくなかで、主人公たちの音楽を通しての心の動き、成長、葛藤、嫉妬、羨望、様々な感情が丁寧に描かれていて、吸引力が凄い。
コンクールで演奏される曲は、聞いたことのない曲が多かったが、読んだ後にYouTubeなどで曲を聞くと(小説に合わせたCDも売られている)、納得というか、著者の描写の巧みさというか、表現力に驚く。
想像していたのとピッタリの曲もあった(バラキレフ「イスメライ」)。
物語のなかで特に印象深かったのは、かつての天才少女、栄伝亜夜が自分の殻をやぶって覚醒していく過程。
自らコンクールに出場することを決意したわけでもなく、また、周囲の心ない声に自身を喪失していたが、音楽の神様と遊んでいるような風間塵の演奏を聴くなかで、自分が忘れていたものを思い出していく。
三次予選の終わりには、
あたしは、全く成長しないまま、おのれの見たいものだけを見て、おのれの聞きたいものだけを聞いて生きてきた。鏡の中に、自分の都合のいいものだけを映してきたのだ。
きちんと音楽を聴けてさえもいなかった。
苦いものが込み上げてくる。
音楽は素晴らしい、あたしは音楽に一生関わっていくのだとうそぶきながらも、実際にやっていることはその逆だった。音楽に甘え、音楽を舐め切り、ぬるま湯のような音楽に浸かっていた。ここにいれば楽だとばかりに、音楽と馴れ合っていたのだ。自分は違うと思いながら、音楽を楽しむことすらしていなかった。
そして本選。
あたしの音楽。
そう口の中で呟いてみる。
それは、お母さんの中でも、あの黒い箱の中にあったわけでもない。
ずっとここにあった。あたしの中にあった。ずっとあたしと一緒にいてくれた。そのことに気付かなかった。気付けなかった。それだけのことなのだ。
「音楽」を自分自身が大切にしていると思っていること、打ち込んでいること、心に引っかかっていることなどに読み替えると、人それぞれ、何か感じることがあるのではないだろうか。