復帰前の沖縄を感じることによって見えてくるもの ~宝島

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541ページもあるが、一気に読み終えた。

 

舞台は1952年から1972年、米軍占領下の沖縄。

戦後の混乱のなか、食料も生活必需品も不足しているなかで、米軍基地に侵入し、その豊富な物資を奪って生活の糧にしていたのが戦果アギヤー。

1952年、おんちゃんと呼ばれるコザの英雄が戦果アギヤーの仲間たちとともに嘉手納基地に侵入した。しかし、米軍や憲兵隊に見つかり、激しい追跡を受け、おんちゃんは行方不明になってしまう。

おんちゃんと行動をともにしていた、親友のグスクは警察官に、弟のレイはやくざ、恋人のヤマコは教師になって、それぞれおんちゃんの行方を捜していく。

 

主人公たちの生きざまを追いながら、宮森小学校への米軍機墜落、嘉手納基地のB52墜落事故、毒ガス移送などの史実が描かれいて、物語の最後はコザ暴動へとつながっていく。

この小説の素晴らしいのは、これらの史実を同じ時代に生きていたかのように感じることができるところだ。

復帰後に生まれた私は、これらの事件、事故を知識として知ってはいても、どこか他人事のような気がしていたかもしれない。

しかし、小説のなかで追体験していくことによって、先輩たちの感じていたことを感じることができるような気がする。

 

以下、印象深かったシーンを一部抜粋。

佐藤首相とニクソン大統領が沖縄の返還に合意したことを伝えるテレビの実況中継が流れているなか、米兵に関わる悲劇に巻き込まれた親子の話を聞いたグスクの言葉。

「基地の問題はうやむやにされて、核や毒ガスもなくならない。戦闘機は堕ちつづけて、娼婦の子は慰みものにされる。この返還で喜べるのはうしろめたさに格好のついた日本人(ヤマトンチュ)だけさ」

 

 戦災孤児として育ち、3人と繋がるようになるウタとヤマコの会話。

「だってこの島が日本(ヤマトゥ)になって、おいらたちになんのいいことがあるのさ。基地はなくならないんだろ、アメリカーもごめんなさいしないんだろ。おいらの母ちゃん(アンマー)にしたことも、キヨにしたことも償わせなきゃならんがあ」

「島の人はたちは“なんくるないさ”って言うんだろ。それでみんな忘れんぼ(ソーヌガー)になっちゃう。だけどそれじゃあかわいそうやさ、キヨが、母ちゃん(アンマー)が」

「あのね、それは……忘れなきゃ生きていけなかったから。それだけの目に遭ってきたから。宴会(スージ)にも占い(ハンジ)にもなんにでもすがって、過去をふっきろうとして、そのうえで出てきた“なんくるないさ”はただの“なんくるないさ”じゃないんだよ」

 

復帰前と現在の状況はだいぶ異なってきているが、本質的な部分は変わっていない。

 

沖縄の基地問題については様々な意見があっていい。

民主主義、自己決定権、人権、アイデンティティー、平和、キーワードはいろいろある。

ただ、対等な関係ではないこと、そこは法律や制度うんぬんではなく、人として、素直に疑問を持つべきところであると思う。

 

 

第160回直木賞受賞 宝島

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