EQ こころの知能指数
ダニエル・ゴールマン
EQについて二つ目の記事になる。
前回の記事では、私たちの脳で情動のハイジャックが起こる仕組みを説明し、
・「感じる知性」と「考える知性」のバランスが人生の質を向上させること
・EQの領域は5つあり、そのうち「自分自身の情動を知る」ことが情動に関わるあらゆる知性の基礎になること
などを書いた。
「EQ ~こころの知能指数」では実際に社会生活での応用として職場や医療、教育などについて書かれているが、今回は悩み多き結婚生活や男女間の問題について紹介する。
男女の違いはどこからくるか
男は火星人、女は金星人、男脳、女脳など、男女の情動の違いはいろいろな例えをもって話される。男女の違いは、生物学的要因から発しているというのは、ある程度正しい。
だがそれだけではない。男女が情動的に異なる世界で育つことも一つの要因だ。
一般的に、親は息子よりも娘とのあいだで感情を話題にすることが多い。息子とのあいだでは感情の原因や結果の話をするのに対して、娘とのあいだでは感情そのものを話題にするのだ。
これは女児が男児より早く言語能力が発達しやすいこととも関係しているが、「男の子なんだから泣かない」などのある種の価値観も関係している。
男児は感情を口に出すことがあまり奨励されない環境で育つことになるので、自分の感情にも他人の感情にも無関心になりがちだ。
遊び方も異なる。
女の子は親しい者だけの小さなグループを作り、なるべく敵対せずに仲良く遊ぼうとする。男の子は大きな集団で競争しながら遊ぶ。
遊んでいくなかで、男子は孤高かつ非常な自主自立を誇りとし、女子は親密に結ばれた集団の一員であることを重視するようになる。男子は自分の自主自立を侵すものに脅威を感じ、女子は自分たちの仲を決裂させるものに脅威を感じるようになる。
その結果、男と女では会話から期待するものが違ってくる。男は「ものごと」について話をするだけで満足するが、女は情緒的なつながりを求めるのだ。
このような環境で育つため、男と女では感情を処理する能力に大きな差がでる。
女性は感情のサインを読みとる能力や自分の感情を表現する能力にすぐれ、男性は、弱さ、罪悪感、恐怖、苦痛に関係する感情を最小限に抑える能力にすぐれることになる。
こうしたことから、あらゆる感情について、女性は男性よりも強く感じ、興奮しやすい。
女性は感情面のマネージャー役として結婚生活に入るのに対し、男性は二人の関係を維持する感情面のマネジメントがいかに大切かをあまり実感しないまま結婚生活に入る。
妻たちにとって、親密さとはいろいろなことについて、特に二人の関係そのものについて話し合うことを意味するが、男たちはそれを理解できない。
意見の不一致をどう認め合うかについて、意見を一致させることが、結婚生活を長続きさせるコツである。男と女は扱いの難しい感情と向かい合う際の性差を克服しなければならないのだ。
容赦のない批判
結婚生活の危機を知らせる早期警戒信号は容赦のない批判だ。
怒りでカッとなると、苦情は人格攻撃になってしまう。
人格に対する攻撃は理にかなった苦情に比べて、感情をはるかに傷つけるインパクトがある。そしてこの攻撃は、相手が聞いてくれていないという思いが強くなるほど、頻繁になっていく。
人格攻撃が激しさを増すと、受け止める側には屈辱感が生まれ、自分は相手に嫌われている、自分は欠陥品だと思われていると感じさせてしまう。これでは受け止める側は自己弁護に走るばかりになる。
相手から攻撃された配偶者は、反撃か逃避の反応にでる。
反撃は空しいののしりあいになり、みじめな状況になるが、逃避反応はもっと破滅的だ。
相手に対する徹底的な拒絶は、究極の防御となる。対話から完全に身を引き、冷たく距離を置き、相手を見下し、不快感をあらわにする拒絶は、相手を強烈に打ちのめす。
よくあるのは、非難や軽蔑の言葉を投げつける妻に対して夫が石のような殻に閉じこもる、というパターンだ。
拒絶反応が頻繁に出るようになると、人間関係は荒廃する。
有害な自動思考
夫婦の感情的な口論の背景には彼らの思考があるが、その思考はもう一段深いレベルの「自動思考」によって決定されている。
自動思考とは、自分自身や人生で関わる人々について、瞬間的に脳裏に浮かぶ仮定的背景のようなものだ。
うまくいっていない夫婦間でよく見られるものとして、妻の思考の背景にあるものは、「彼はいつも怒って私を脅す」という自動思考、夫のなかには「彼女には俺をこんなふうに扱う権利はない」という自動思考だ。
自分は罪もないのに犠牲になっている、あるいは、自分の怒りは正当である、という思考だ。
自分が犠牲になっているという思考が引き金になって情動のハイジャックが起こると、当面は自分が犠牲にされた場面ばかりあれこれ思い出して考えるようになり、相手がこれまでしてくれたことの中でそうした思い込みを打ち消すような行為もあったことを思い出さなくなる。すべて否定的なレンズを通して解釈されてしまう。
悲観的な考え方をする人には、情動のハイジャックが起こりやすい。
情動のハイジャックが頻繁に起こり、その結果生じる心痛や怒りからの回復が難しくなると、絶え間ない危機が作り出される。
些細なことで感情の乱高下を起こすようになるが、それを情動の「氾濫」という。
「氾濫」状態の夫(妻)は配偶者の否定的な対応やそれに対する自分自身の反応が手に負えなくなって、何ひとつコントロールできない最低の気分に陥る。こうなると、聞くこと見ること曲解せずにはいられず、冷静に考えることができない。考えをまとめられないので、原始的な反応に頼るようになる。とにかくやめてほしい、ここから逃げ出したい、と考える。かと思うと反撃したりする。情動の「氾濫」は際限なく続く情動のハイジャックなのだ。
破滅的な方向へ転換していく決定的な曲がり角は、夫婦のどちらかがほとんど常に情動の氾濫状態になってしまった場合だ。
情動の氾濫状態に陥った夫(妻)は配偶者のやることなすこと全てを否定的に受け取り、悪いほうへ解釈する。その結果、小さな問題が大げんかになり、心の休まる暇がない。時を重ねるにつれて、情動の氾濫状態に陥った夫(妻)は結婚生活のありとあらゆる問題をすべて深刻で修復不可能と見るようになる。
非難と軽蔑、自己弁護と相手に対する拒絶、有害な自動思考と情動の氾濫のとめどないサイクルそのものが、情動の自己認識と自己管理、共感、相手や自分を慰める能力などの崩壊を反映している。
男と女はそれぞれの苦痛から逃れるために正反対の作戦に走り、結局、感情的な対立に正反対のスタンスで対処しようとする。夫は必死で対決を避けようとし、妻はなんとか対決に持ち込もうとする。
妻が意見の対立や苦情を話題にしようとすると、夫は口論になるのを見越してなかなか相手にしない。逃げ腰の夫を見て妻の口調はきつくなり、非難しはじめる。対抗して夫が防戦したり殻に閉じこもったりすると妻は不満と怒りを感じ、さらに夫に対し軽蔑をつけ加える。妻から言われなき非難をされていると感じた夫は、「罪なき犠牲者」といった自動思考に陥り、情動の氾濫を起こしやすくなり、ますます防御を強め、殻に閉じこもる。しかし、夫が殻に閉じこもると、今度はどうしようもなくなった妻が情動の氾濫を起こすことになる。
アドバイス
一般的に男性と女性では感情を微調整すべき方向が違う。
男性は、衝突を回避しようとしないこと。妻が苦情や意見の相違を口にしたら、それは夫婦の関係を健全で望ましい方向に保ちたいという愛情ゆえの行為であると受け止めること。
また、最初から実際的な解決策を提示して議論を省略するような態度を見せないよう注意しなければならない。
妻にとっては、話をちゃんと聞いてくれること、自分の気持ちに共感してくれること(同意は不要)が何より重要なのだ。
女性は、男性にとって最大の苦痛は妻の糾弾が激しすぎることにあるのだから、夫を非難しないよう気をつけるべきだろう。夫の行為について苦情を言うのはいいが、夫の人格そのものを非難し、軽蔑してはいけない。苦情を述べるときはある特定の行為が自分に苦痛を与えていることをはっきりと伝えることだ。
離婚まで行き着く夫婦には、口論が白熱したときに緊張を和らげる工夫が欠けている。
口論を横道にそらさない、相手に共感して聞くという基本的な対応が重要だ。
わずかのEQ-自分の(そして相手の)感情を静める能力、共感する能力、相手の話をしっかり聞く能力―を身につけるだけでも意見の対立をうまく収められるようになる。そうなれば、夫と妻のあいだで「健全な意見の不一致」が可能になる。「上手なけんか」は結婚生活を豊かにし、結婚生活をおびやかす有害な思考を克服する機会になる。
心を静める工夫
強い情動の根底には、かならず行動を喚起する衝動がある。この衝動をコントロールすることが重要だが、愛する者とのあいだには失うものが多いため、コントロールはとくに難しい。夫婦の問題がひきおこす情動反応には、人間の最も深い欲求がかかわっている。
愛されたい、大切にされたい、という欲求だ。捨てられたり愛情に応えてもたえないことへの恐れもある。恐れは扁桃体を刺激する。扁桃体への刺激は情動のハイジャックに繋がる。夫婦げんかで命がかかっているかのように反応する人がいるのも、理由がないわけではないのだ。
とはいえ、夫か妻が情動のハイジャック状態になっているあいだは、何ひとつ前向きに解決することはできない。
まずは感情を静めることだ。しかし、「氾濫」状態になってしまうと静めるのには結構時間がかかる。
話し合いが白熱し、「氾濫」の兆候を感じら、いったん20分ほど休憩をとるか、後日に持ち越したほうがいいだろう。夫婦間であらかじめそのような取り決めをしておくと効果的だ。スムーズに話し合いを終えたり、中断することができる。
感情を静めるには、以下の方法が有効だ。
【思い込みを問い直す】
自分は罪もないのに犠牲になっている、あるいは、自分の怒りは正当である、という思考、こうした思考を問い直す。
そのためには、心に浮かぶ否定的な思考を監視し、悪く解釈する必要のないことを理解し、思い込みを問い直すための証拠や視点を意識的に思い浮かべてみるとよい。
【心を開いて聞く】
夫婦ともに情動のハイジャックにあるときも、どちらかが怒りを乗り越えて相手の話を聞き、関係修復を求めるサインに応えることはできるはずだ。
攻撃に対して身構えた姿勢で話を聞いていると、行動を変えて欲しいと言っている配偶者の苦情が自分に対する非難に聞こえてしまい、相手の言い分を無視したり反駁してしまう。
最悪の場合でも、敵意や否定に満ちた部分(意地悪な言い方、侮辱、軽蔑口調の批判)を意識的に削除して相手が本当に言いたいことだけを聞く努力は可能だろう。
心を開いて相手の話を聞く最も効果的な形は、共感だ。
相手の言葉の背景にある感情に耳を傾ける。
その練習の一つとして「鏡映法」がある。
一方が苦情を口にしたとき、もう一方は自分の言葉を使って相手の発言内容を鏡のように再現する。その際、思考だけでなく感情をとらえるよう努力する。
苦情を口にした相手に確認しながら進み、きちんと鏡映できていないと言われたら、できるまでやり直す。
難しいが、これだけで当面の攻撃がやわらぐこともあるし、エスカレートさせずに問題点を絞って話し合えたりする。
また、話の範囲を当面の問題点に絞り、人格攻撃にエスカレートさせないことも重要だ。
苦情を述べる際の上手な形式は「XYZ」で、「あなたがXしたので、私はYな気持ちになった。Zしてくれればよかったのに」と伝える。
「あなたって思いやりのない人ね。自分勝手な大馬鹿者だわ」ではなく、
「あなたが夕食の約束に遅れるという電話をくれなかったので、私は大切に思われていない気がして腹が立った。遅くなるなら電話で知らせてくれればよかったのに」
という具合だ。
最後に
ここまで読んで、いつもの(巷にあふれている)アドバイスと同じじゃないか、と感じる人もいるだろう。
当たり前と言われればそうかもしれない。
だが、その当たり前ができないから皆苦労する。
ここでvol.1で書いたEQの5つのうち、1番目の重要性を確認する必要がある。
「自分自身の情動を認識する」
当たり前のことだが、これがとても難しい。
だが、これができれば、夫婦問題も含めて多くの問題が解決するだろう。
「小さなことが積み重なって~」と相手を非難するのはよくある。
だが、その小さなことを放置した自分自身の責任はどうだろうか。
その小さなことが起こったとき、自分自身の情動をちゃんと認識し、相手の行動の背景を確認したり、必要であれば自分が不快に感じることを相手に伝えただろうか。
小さなこととして、自分の情動をないがしろにしたのは自分自身である。
相手を責める前に、積み重ねる必要もないのに、積み重ねなかったか、自問する必要があるだろう。
この本では、「練習を怠りなく」と日々の取り組みが大切であることを述べている。
個人的には「自分自身の情動を認識する」トレーニングとしては、やはりマインドフルネスが最も効果的ではないかと考えている。
マインドフルネスについては、これまで何回か記事にしたが、今後も理解が深まれば記事を書く予定。
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