【小説】蜜蜂と遠雷 世界は音楽であふれている

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蜜蜂と遠雷

恩田陸

 

 

小説に夢中になり、その世界に引き込まれているとき、
文字を読んでいる感覚がなくなっていき、

人物や景色を眺めているような感覚になることがある。


この小説は、それに加えて、「音楽」が流れてきた。

 

物語の舞台は、3年ごとに開催される国際ピアノコンクール。

 

主人公は4人。

養蜂家の父とヨーロッパ各地を転々とし、ピアノを持たない少年・風間塵16歳。

かつて天才少女としてCDデビューもしながら、13歳のときの母の突然の死によって、音楽の表舞台から姿を消していた栄伝亜夜20歳。

音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマン、高島明石28歳。

完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。

 

一次予選、二次予選、三次予選、本選と進んでいくなかで、主人公たちの音楽を通しての心の動き、成長、葛藤、嫉妬、羨望、様々な感情が丁寧に描かれていて、吸引力が凄い。

 

コンクールで演奏される曲は、聞いたことのない曲が多かったが、読んだ後にYouTubeなどで曲を聞くと(小説に合わせたCDも売られている)、納得というか、著者の描写の巧みさというか、表現力に驚く。

想像していたのとピッタリの曲もあった(バラキレフ「イスメライ」)。

 

物語のなかで特に印象深かったのは、かつての天才少女、栄伝亜夜が自分の殻をやぶって覚醒していく過程。

 自らコンクールに出場することを決意したわけでもなく、また、周囲の心ない声に自身を喪失していたが、音楽の神様と遊んでいるような風間塵の演奏を聴くなかで、自分が忘れていたものを思い出していく。

 三次予選の終わりには、

 あたしは、全く成長しないまま、おのれの見たいものだけを見て、おのれの聞きたいものだけを聞いて生きてきた。鏡の中に、自分の都合のいいものだけを映してきたのだ。

 きちんと音楽を聴けてさえもいなかった。

 苦いものが込み上げてくる。

 音楽は素晴らしい、あたしは音楽に一生関わっていくのだとうそぶきながらも、実際にやっていることはその逆だった。音楽に甘え、音楽を舐め切り、ぬるま湯のような音楽に浸かっていた。ここにいれば楽だとばかりに、音楽と馴れ合っていたのだ。自分は違うと思いながら、音楽を楽しむことすらしていなかった。

 

そして本選。 

 あたしの音楽。

 そう口の中で呟いてみる。

 それは、お母さんの中でも、あの黒い箱の中にあったわけでもない。

 ずっとここにあった。あたしの中にあった。ずっとあたしと一緒にいてくれた。そのことに気付かなかった。気付けなかった。それだけのことなのだ。

 

「音楽」を自分自身が大切にしていると思っていること、打ち込んでいること、心に引っかかっていることなどに読み替えると、人それぞれ、何か感じることがあるのではないだろうか。

 

 

S-WORKS 7 インプレ  快適なのにしっかりホールド

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S-Works 7

 

シューズを新調した。

2ヵ月ほど使用したので、現時点でのインプレを書いてみる。

 

 

軽い

まずは重量(サイズは42.5)。

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左右とも230グラム台、とても軽量だ。

これまで使用していたSIDIのSHOTは、同じ42.5で312グラムだった。

なんと、80グラム近く差がある。パーセンテージにすると、S-worksはSHOTの75パーセント。

体感としてもかなり軽くなっているのを感じる。

違いを把握するために、ローラーに乗りながら交互に何度も履き比べていると、S-worksは、裸足でペダルを踏んでいるような感覚になるほど。

 

アッパーがいい感じ

アッパーはスペースシャトルのブレーキ用のパラシュートに使われる「Dyneema」が使われている。前のモデルでも同じ素材を使っていたようだが、今回のモデルは「Dyneema メッシュ」 という素材になっていて、横方向に伸びて縦方向には伸びにくいらしい。

これが思いのほかフィットする。

快適な履き心地なのに、しっかりとホールドしている。

履いていて、圧迫感も少なく、靴のなかに少し余裕があるような状態でありながら、力任せにペダリングしても靴のなかで足が動く感じがしない。

 

踵の固定力がちょうどよい

前作では踵がかなり固かったため、購入を断念した経緯がある。

今回のモデルはだいぶ柔らかくなったというか、固定はしっかりしているけど、無理に踵を固定しようとしていない印象を受けた。

 

BOAダイヤルがよい

BOA社と共同開発したという「カスタムS3 BOAダイヤル」。スペシャライズドでしか採用しないようだ。

CNCアロイを使用し、デザインが美しいのはもちろんだが、とても調整がしやすくなっている。

調整するときに、小さく「カチッ」と音がなり、締めたり、緩めたりする感触を感じるが、抵抗感が少なく、とてもスムーズだ。

指でつまむ部分の表面に小さなギザギザがあるため、指が滑ることもない。

 

インソールは物足りなかった

このシューズで唯一、不満が残ったのはインソール。

スペシャライズドのサイトでは、「縦足弓アーチサポートで、ペダリング中に土踏まずのアーチがつぶれるのを防ぎ、全てのワットを無駄なくペダルに伝える」と書いてあったが、個人的にはアーチのサポートが弱い印象を受けた。

この点については、「Superfeet」のインソールを入れることで解消したのだが、そのインプレはまた別の記事で書こうと思う。

 

まとめ

履き心地がいいのに、しっかり足をホールドしてくれる。

相反する機能を絶妙なところで両立させているシューズだと思う。

フィット感には個人差がでてくるが、足型が合うなら是非おススメしたいシューズだ。 

 

 

Superfeet - CARBON インソール

 

 

 

 

2018年7月トレーニングまとめ

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走行距離:559.28km

走行時間:21h7m

獲得標高:4,315m

消費エネルギー:10,494kj

 

今月は8日の屋我地ロードレースで落車に巻き込まれてしまった。

肩を強打し、肩鎖関節を亜脱臼。

怪我の影響と、モチベーションが下がり気味だったこともあり、練習量は落ちた。

 

3週間経ち、痛みはだいぶ引いてきたが、違和感が凄い。

とっさのときの左肩の動きに不安がある。引っかかって、痛みが出たり。

 

ツールドおきなわまで、ここから3か月でどこまで上げられるか。

怪我を言い訳にしたらきりがないので、今できることをしっかりやっていこう。

 

いよいよ明日、8月1日12時から申し込みスタート!

 

www.tour-de-okinawa.jp

www.sportsentry.ne.jp

瞑想(マインドフルネス)を脳科学から知る

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世界のエリートがやっている 最高の休息法

久賀谷 亮

 

 瞑想やマインドフルネスと聞くと、スピリチュアルな印象を持つ方もいるかもしれない。

この本は、イェール大学で脳科学の研究者として実績を積んだ後、アメリカで精神科医として働いている日本人医師が、マインドフルネスの効果を脳科学から説明している。

 

私たちは、一日なにもしないでボーっとして身体を休めても、疲れがとれないことがある。頭が働かず、身体の動きも鈍い。集中力も続かない…

それは、脳を休ませることができていないためである。

脳には脳の休め方がある。それに有効なのがマインドフルネス。お金もかからず、シンプルかつパワフルな方法だ。

 

 

脳は「何もしない」でも疲れていく

人間の脳の重さは体重の約2%だが、消費エネルギーは全消費エネルギーの20%を消費している。

その理由として、デフォルト・モード・ネットワーク(以下、略してDMN)の存在が大きいと言われている。

DMNは、内側前頭前野、後帯状皮質などの複数の部位から構成される脳回路だが、意識的な反応をしていないときにも働くベースライン活動を担っている。

そして、このDMNのエネルギー消費量は脳全体の消費エネルギーのうち、60~80%を占めるそうだ。つまり、何かに集中することなく、ぼーっとしているだけでも、このDMNが過剰に働いていれば、脳はどんどんエネルギーを消費してしまうのだ。

マインドフルネスはこのDMNが過剰に働くのを防いでくれるという。

 

マインドフルネスとは何か

よく言われる定義としては、

評価や判断を加えずに、『いまここ』の経験に対して能動的に注意を向けること

しかし、これではよくわからないとして、本書では、

瞑想をベースにした、脳の休息法

としている。

 瞑想というと、宗教的なイメージを持ってしまうが、特徴として以下の3つが挙げられる。

1.宗教性を排除→徹底した実用性

2.修行の要素を排除→誰でもできるシンプルさ

3.脳科学アプローチ→客観的に実証された効果

 

基本的なやり方

1.基本姿勢をとる

 ・イスに座る(背筋を軽く伸ばし、背もたれから離す)

 ・お腹はゆったり、手は太ももの上、脚は組まない

 ・目は閉じる(開ける場合は、2メートルぐらい先をぼんやり見る)

2.身体の感覚に意識を向ける

 ・接触の感覚(足の裏と床、お尻とイス、手と太ももなど)

 ・身体が地球に引っ張られる重力の感覚

3.呼吸に注意を向ける

 ・呼吸に関わる感覚を意識する(鼻を通る空気、お腹の上下動、呼吸の深さなど)

 ・深呼吸や呼吸コントロールは不要

 ・呼吸に「1」「2」・・・「10」とラベリングするのも効果的

4.雑念が浮かんだら・・・

 ・雑念が浮かんだ事実に気づき、注意を呼吸に向ける

 ・雑念は生じて当然。自分を責めない

 

 以上をだいたい5分~10分、できるだけ決まった時間にやったほうがいい(脳は習慣が大好き)。

 

行う場合の注意点

まず、呼吸をコントロールする必要は一切ない。深呼吸も不要。

普段のままの呼吸を感じるだけでいい。

瞑想というと、「意識を無にしなければ!」と思う人もいるかもしれないが、これも勘違い。そもそも人間の脳は「何も考えるな」と言われても、そんなことができるようにはなっていない。

マインドフルネスで行うことは、意識を空にすることではなく、自分自身の感覚や呼吸に並大抵ではない注意を向けることだ。

 

身体の感覚に意識を向け、呼吸に注意を向けていく。これだけのことだが、おそらく、1分もしないうちに、心のなかに雑念が浮かんでくる。

 最初のうちは、なんて雑念だらけの自分なんだろうと参ってしまうかもしれないが、そういうものである。

マインドフルネスは雑念を消すための修行ではない。

大事なのは、雑念が浮かんできたという事実に『気づく』こと(とても重要!)

そのあとは、やさしくゆっくり呼吸に注意を戻せばいい。 

 

また、マインドフルネスの核心は“Let it go”~あるがままであり、「〇〇でなければならない」「××してはならない」といった、一方的に決めつける態度(ジャッジメンタル)にはそぐわない。

「〇分しなければならない」、「雑念ばかり浮かんでダメだ」、こういった価値判断をせず、あるがままを受け入れることに集中することが重要。

 

ストレスで体調がすぐれないときにするマインドフルネス(ブリージングスペース)

マインドフルネスは、脳の休息だけでなく、ストレス対処法としても有効だ。

ストレスは様々な身体の不調を引き起こす。身体のだるさ、肩こり、激しい腹痛、胃腸の炎症など。

マインドフルネスは、ストレスによる身体への影響に気づき、それを脳(前頭葉扁桃体の関係性)から改善していく。

 まず、やり方。

 1.ストレスの影響に気づく

 ・マインドフルネス呼吸法の基本姿勢をとる

 ・ストレスの原因になっていることを「1つの文」にする

 ・その文を心のなかで唱えたとき、心や身体がどう反応するか確認する

2.呼吸に意識を集中させる

 ・呼吸に「1」「2」・・・とラベリングする

 ・身体の緊張が緩んでいくのを感じる

3.身体全体に意識を広げる

 ・注意を全身に広げる(身体全体が呼吸をしているイメージ)

 ・息を吸い込むとき、ストレスに反応した身体の部位に空気を吹き込むようにイメージし、呼吸するにつれてそこがほぐれていく感じを持つ

 ・さらに注意を周囲の空間全体へも広げていく

 

マインドフルネスがストレスに効く仕組み

なぜマインドフルネスがストレスに効くのか。それは扁桃体前頭葉の関係性を変えることにある。

扁桃体については、以前、うつ病との関連で記事を書いたが、外部の脅威から自分の身を守ることを優先する動物的な本能の役割を担っている。 

扁桃体は、天敵などの危険情報を受け取ると、ストレスホルモンの分泌を指示し、ストレスホルモンが分泌されると、血糖値や心拍が上昇し、代謝が高まって全身の筋肉が活性化する。このメカニズムによって、生存競争を生き延びてきたのだ。

ヒトはなぜ病気になるのか - ◎晴輪雨読☆

 扁桃体は、外部から一定の刺激を受けると、不安とか怒りといった感情を生み出す(ストレス反応。逃走or闘争。)。通常は、理性である前頭葉が感情である扁桃体上から抑えつけて鎮静化を図る。

しかし、前頭葉が抑え込めないくらいに扁桃体が過剰に反応すると、交感神経に作用して、激しい動悸や過呼吸などの身体症状が引き起こされたりする(パニック発作)。

これに対し、マインドフルネスに関するいくつかの研究では、3か月以上にわたってマインドフルネスを実践した人の脳内において、前頭葉扁桃体が上下関係ではなく、より対等でポジティブな関係をつくることがわかっている。両者がよりフラットにバランスを取り合い、調和している状態が観察されているという。

理性的になれ!と言われても、簡単ではない。ストレスの原因を取り除くことができないことも多い(特に人間関係の場合)。

そういう意味では、マインドフルネスは脳自体に影響を及ぼすことができ、自分自身を変えることでストレスに対処する、とても有効な方法といえる。

 

怒りや衝動に流されそうなとき(RAIN)

もう一つ、ストレス反応に関連して、怒りや衝動に流されそうなときは、マインドフルネスと組み合わせて、以下のステップで対処するといい。

1.Recognize(認識する)→「あ、怒っているな、自分」

 ・自分のなかに怒りが起きていることを認識する

 ・怒りと怒っている自分を同一視しない

2.Accept(受け入れる)→「仕方ない。人間だもの・・・」

 ・怒りが起きているという事実を受け入れる

 ・その事実に価値評価を加えず、そのまま許す

3.Investigate(検証する)→「なぜ怒ったのかな?」

 ・怒ったときに身体に何が起きているかを検証する

 ・心拍はどう変化しているか

 ・身体のどこが緊張しているか

4.Non-identification(距離をとる)

 ・自分の感情を個人的にとらえない

 ・怒りを突き放して「他人事」のように考えてみる

 

怒りへの対応もそうだが、私の場合、甘いものへの衝動をコントロールするのに、このRAINはとても役立っている。

 

まとめ

私たちの脳は、未来と過去から来る雑念に振り回されながら、得体のしれないルールや価値観に縛られている。

マインドフルネスにより、「いま、ここ」に注意を向けることは、そうした呪縛から自分を解放するテクニックともいえる。

 

過去の出来事にたいする後悔が頭を離れない、未来への不安で押しつぶされそう、ストレスを感じやすい、いろいろなことで頭がいっぱいで何をしていいかわからないなど、何かしら行き詰っている方はマインドフルネスを実践してみることをおススメする。

本書は物語形式で書かれていて、比較的短時間で読めるので、マインドフルネス入門としてはいいのではないかと思う。

また、CDブックもあり、こちらは物語形式ではなく、マインドフルネスのエッセンスを説明しているものだが、マインドフルネスを実践するための音源も収録されている。 

 

 

2018年6月トレーニングまとめ

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走行距離:724km

走行時間:26h2m

獲得標高:4,285m

消費エネルギー:13,275kj

 

なんというか、全くコンディションが上がってない。

練習会でもよく千切れる。

 

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Golden Cheetahの有酸素領域のグラフ、ここ3か月の状態だが、ほぼ横ばいというか、

最後は落ちてる(>_<)

まぁ、最後は雨の中の空港練で、あまり出し切ってないというのもあるが、これはよくない状態…

 

来週の屋我地はちょっと…って感じ。

先週は出るか出ないかで迷っていた。

 

練習しているわりに伸びない原因はいろいろあると考えているが、一つはメンタル、モチベーションの問題かな。

これはまぁ、ある程度自分なりに整理できそうなので、一つずつクリアしていけばいいと思っている。

もう一つの問題は悩ましい。自分のフォームというかペダリングというか、身体の使い方、筋肉の使い方について、このままでは頭打ちじゃないかと思うようになってきた。

でも、これから別のフォームをとるとなると、それに慣れるまでどのくらい時間がかかるんだろう…

 

はてさて、どうしたものか…

 

 

なぜほめてはいけないのか。アドラー心理学の自立、愛とは。

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以前勇気二部作ということで記事を書いたが、理解不足、消化不足で中途半端な内容になっていたので、「なぜほめてはいけないのか」を中心に、「幸せになる勇気」の後半部分を織り交ぜながら、自分なりのまとめをしてみる。この本の後半部分ではフロムの「愛するということ」の引用が多数あり、アドラーとフロムのミックスのようなものになるかな。

 

 

なぜほめてはいけないのか

子育てであれ、組織におけるマネジメントや人材育成であれ、「ほめて伸ばす」、「承認をする」など、承認欲求を満たすことは基本的なことだと考えられていると思う。

しかし、アドラーはそれを真っ向から否定する。

なぜか。

承認欲求にとらわれた人間は、他者から認めてもらうことを願うあまり、いつの間にか他者の人生を生きることになるから。

そして、承認には終わりがない。永遠に求め、永遠に満たされない。

ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられること」を求める。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになってしまう。

 

問題行動の5段階

具体的にはどんな問題が生ずるのか。

アドラーは、承認欲求にとらわれた人間が陥いる問題行動を、そこに隠された「目的」に注目し、5段階に分ける。

第1段階「称賛の欲求」

 例えば、親や教師に向けて「いい子」を演じる。組織であれば、上司や先輩に向けて、やる気や従順さをアピールする。

 これは一見問題行動ではないように感じるが、隠された目的はあくまでも「ほめられる」ことであり、自らが所属している社会(共同体)で「特権的な地位を得る」ことにある。

では、親や教師、上司や同僚がいっさいほめなかったらどうなるか。

不満を抱き、意欲を失うだろう。「いいこと」をしているのではなく、「ほめられること」をしているのだから。結局、「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」という世界観(ライフスタイル)を身につけていく。

さらに、周囲の期待する「いい子」であろうとするために、カンニングや偽装工作などの不正行為に出てしまうのもこの段階だ。

 

 第2段階「注目喚起」

ほめられなければどうするか。

とにかく目立ってやろう」と考えることになる。

子どもであれば、学業や部活では優秀な成績を収めることができないから、別の手段で目立とうとする。積極的な子どもだと、社会や学校のちょっとしたルールを破る、消極的な子どもだと、忘れ物を繰り返したり、泣いたりといった「できない子」として振る舞うことで注目を集めようとする。

大人では、ことさら仕事の忙しさをアピールしたり、自分に起こった不運をアピールすることも注目喚起といえるだろう。

これらの行動もその目的は共同体のなかで「特権的な地位を得る」ことだ。

 

 第3段階「権力争い」

ほめられることも、目立つこともできない場合、誰にも従わず、挑発を繰り返し、戦いを挑むようになる。

戦いに勝利することによって、自らの力を誇示し、「特権的な地位を得」ようとするのがこの段階。

親や教師に反抗する、非行に走る、消極的な子どもであれば、勉強や習い事を拒絶する。

大人の場合、自分にとって得るものがあまりないにもかかわらず、些細なことで絡んでくるハードクレーマーはここに該当するだろう。 

 

第4段階「復習」

権力争いに挑んだのに、勝利を得られず、特権的な地位を得られなかった。

この場合、かけがえのない「わたし」を認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に、愛の復習をする。

なぜか。

称賛の欲求、注目喚起、権力争い。これらは「もっとわたしを尊重してほしい」という、愛を乞う気持ちの表れ。そうした愛の希求がかなわないと知った瞬間、人は一転して「憎しみ」を求めるようになる

わたしを愛してくれないことはもうわかった。だったらいっそ、憎んでくれ。憎悪という感情のなかで、わたしに注目してくれ

そして、ひたすら相手が嫌がることを繰り返す。

典型的なものはストーカー。相手が嫌がっていることは十分理解している。それでも、憎悪によってつながろうとする。

自傷行為や引きこもりもその一環。自らを傷つけ、自らの価値を貶めることで、「こんな自分になってしったのはお前のせいだ」と訴える。当然親は心配するし、辛い思いをすることになる。子どもにしてみれば、復習は成功していることになる。

 

第5段階「無能の証明」

あらゆる手段を講じたが特別な存在になれなかった場合、「これ以上わたしに期待しないでくれ」という思いが、この段階につながる。

人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分にはなにも解決できないと信じ込むようになる。 

そして、自分がいかに無能であるか、ありとあらゆる手段を使って「証明」しようとする。

 

問題行動への対処

では、このような問題行動にどう対応していけばいいのか。

第1段階と第2段階は共通している。

ほめてもらったり、目立ったりすることで、「共同体のなかで特権的な地位を得る」ことを目的としているのだから、「特別」でなくとも価値があるのだと、教えていく。

相手を「尊敬」するのである。

尊敬とは「人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力」、「人がその人らしく成長発展してゆくように気づかうこと」である(エーリッヒ・フロム)。

「いいこと」をしたときに注目するのではなく、日ごろの些細な言動に目を向ける。その人の関心事に注目し、共感を寄せていく。

 

第3段階への対応は、挑まれても同じ土俵に乗らないことが大切。

論理でねじ伏せようとするのはもちろん、不快な表情をすることでも相手の土俵に乗っていることになる。

ここも「尊敬」で対応できるかもしれない。

法に触れる場合のみ法で対処する。

 

第4段階と第5段階は、当事者同士で解決することは難しく、第三者である専門家に対応をゆだねるしかないという。

 

もっとも、多くの問題は第3段階まででとどまっていて、そこから先に踏み込ませないことが私たちにとっては重要となる。

 

なぜ承認を求めてしまうのか

 承認欲求にとらわれることによって生ずる弊害は以上のようなものだが、そもそも人はなぜ承認を求めてしまうのか。

 

アドラー心理学では、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、「所属感」と考える。人は、孤立したくない、ここにいてもいいんだと実感したい。

どうすれば所属感を得られるのか。

それが、共同体のなかで特別な地位を得ることになりやすい。

しかし、先に述べたように、承認には終わりがない。問題行動にもつながる。

承認欲求から抜け出すには、「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くことが必要だ。

(わたしであることに価値を置くために、課題の分離、共同体感覚、自己受容、他者信頼、他者貢献ということを考える必要があるが、長くなるので今回は割愛。) 

 

子ども時代のライフスタイル(価値観)から脱却しなければならない

人が承認を求めるのは、人間の成長過程にも関わりがある。

基本的に子どもは、自分の力で生きていくことができない。親の愛があり、献身があればこそ生きていける。

そして子どもはそのことを理解する十分な知性を持っている。

子どもである「わたし」は、親から愛されてこそ、生きていくことができる

子ども時代の私たちはみな、命に直結した生存戦略として「愛されるためのライフスタイル」を選択せざるを得ないのだ。

「愛されるためのライフスタイル」は、いかにすれば他者からの注目を集め、いかにすれば「世界の中心」に立てるかを模索する、自己中心的なライフスタイルといえる。

  

しかし、いつまでも「世界の中心」に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。

 

「愛される」から「愛する」へ

私たちは、「愛されるためのライフスタイル」から「愛するライフスタイル」を選択し直さなければならない。

なぜなら、愛することによって「わたし」から解放され、自立を果たすことができるからだ。

 私たちは生まれてからずっと、「わたし」の目で世界を眺め、「わたし」の耳で音を聞き、「わたし」の幸せを求めて人生を歩む。

しかし、ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった人生の主語は、「わたしたち」に変わる

それは利己心でもなければ利他心でもない。

成熟した「愛」は自分の全体性と個性を保ったままでの結合である(フロム)。

そして、ふたりからはじまった「わたしたち」は、やがて共同体全体に、そして人類全体にその範囲を広げていく

生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類のすべてを包括した「わたしたち」を実感する。 

  

なにも保証がないなかで飛び込むことが愛するということ。

だからこそ困難。

しかし勇気をもって飛び込まなければならない。

 

愛し、自立し、人生を選ぶ」こと、それによって承認欲求から解放される。

 

まとめ

最後の部分は若干抽象的になったが、しっかり書こうとすると、ボリュームがでてしまうので今回はここまでに。

 

「嫌われる勇気」に出会ったのは今年1月。

まだまだアドラー心理学の理解は十分ではないが、少しずつ理解が進むにつれ、自分の周りで起こっている人間関係の問題の背景が、ある程度見えるようになってきた。

そして、多くの問題が「承認欲求」にとらわれていることで生じているのではないかと感じている。わかりやすく単純なものもあれば、入り組んだものもある。

 

これまで、「心理学」というと、人の心を読んだり、操ったりするイメージを持っていて、あまり関心がない分野だった。

しかし、アドラー心理学は問題の背景をあきらかにしながら、「これからどうするか」を考えるものであり、そこに大きな魅力を感じる。

 

問題行動の背景に隠されている「目的」やその帰結を考えることによって、その問題が、相手の課題なのか、自分の課題なのかを分離することができる。そして、自分はどこまで対応すればいいか、自分ができることはなにか、自分は何をしてあげられるのか、なんとなく見えてくる。対応する際には心の余裕も生まれる。

また、自分自身が承認欲求にとらわれた思考をとっていないか、客観的に見ることもできる(そして反省する…)。

 

周囲の目が気になってしまう方や対人関係で悩んでいる方は、一度アドラーに触れてみることをおすすめしたい。

 

 
 

映画・インサイドヘッド 悲しみを否定しないで

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インサイドヘッド

 

職場の同僚に、「ダークサイドに堕ちそう」と言ったら、これを観なさいと言われて観た一本。

原題は「INSIDE OUT

 

 

あらすじ

11歳の女の子ライリー、そんな彼女の頭の中の司令部では彼女が日々幸せに暮らせるようつの感情達が日々奮闘している。つの感情はヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ。

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イカリ、ムカムカ、ヨロコビ、ビビリ、カナシミ

 

ある日、父親の仕事の関係でミネソタの田舎町から大都会カリフォルニアに引っ越すことになった。

不安でいっぱいのライリーだが、頭の中の人も大混乱。そんななかでカナシミが何度もトラブルを起こし、ヨロコビはカナシミに仕事をせず、動かないようお願いする。

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不安でいっぱいのライリー

しかし、転校先での自己紹介の最中に、カナシミが「特別な思い出ボール」と感情の制御盤に触れてしまい、突如ライリーが泣き出してしまう。それを止めようとしたヨロコビは、散らばった思い出ボールとカナシミと一緒に記憶の保管場所へ向かうチューブに吸い込まれてしまう。

司令部はイカリ、ムカムカ、ビビリの人に委ねられるが、上手くライリーの感情を操作出来ず、すぐに家族との関係が崩れてしまう。その後もトラブルが発生し、ついにはイカリがライリーに家出をけしかける。そして、家出を決心したライリーは一切の感情を感じなくなり、制御不能におちいってしまった。

「記憶のゴミ捨て場」で司令部と隔てられ、迷路のように複雑な「長期記憶の保管場所」へ飛ばされてしまったヨロコビとカナシミ。

はたしてふたりは司令部に戻り、ライリーの感情を元に戻すことができるのか。

 

  

喜びが悲しみに変わってしまう

ライリーが不安定になったとき、カナシミは自分でもよくわからないが、喜びのつまった思い出のボールに触れてしまう。

金色に輝いていたボールは、カナシミがボールに触れることによって、どんどんカナシミの体と同じ青色に変化してしまう。

それを見たヨロコビは、カナシミの行動を制限し、余計なことをしないようにお願いするのだが…

  

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金色から青色に

 

悲しみを受け入れること

しかし、ストーリーの展開とともにヨロコビはカナシミが必要なことに気づく。

悲しみは受け入れることで、乗り越えることができる。

そのまま無視することはできない。

カナシミが喜びのボールに触れてしまったのも、ライリーに悲しみを乗り越えさせることが無意識のうちに必要だと感じたからだろう。

自分の悲しみに向き合うことで、他者の悲しみを理解することもできる。

そこに優しさが生まれる。

 

感情を否定してはいけない

悲しみや怒りを否定してはいけない。

悲しみがあるから、喜びもある。

悲しみや怒りをバネにして成長することもある。

ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、すべてひっくるめて自分自身だ。

 

物語の序盤、ヨロコビはカナシミの行動を無理やり制限し、喜びの感情でライリーの心や思い出を満たそうとする。

これは無理なポジティブシンキングや自己肯定と似ている。

 

必要なのは、無理な自己肯定ではなく、自己受容。ありのままの自分を受け入れる。

様々な感情を否定せず、受け入れる。

過去の意味づけをするのは自分。

喜びのつまった思い出のボールが悲しみの色に変化するのは、その人にとって、その時の意味づけが変化するから。

 (それが必要だからかもしれない)

 

大事なのは感情に支配されないこと。

 

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まとめ

映画の本筋は、11歳の少女の感情の成長がメインだと思うので、私の感想は少しずれてるかな…

ちなみに、原題の「INSIDE OUT」は、「裏返し」とか、それが発展して、「隅から隅まで」という意味らしい。

原題で考えれば、「喜びと悲しみは表裏一体」、なんて意図もあるような気がする。

 

ダークサイドを否定せず、上手に付き合いなさい」という意味では、同僚のアドバイスは適切だったかもしれない(笑)